ちょいポエな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

結局全部自分の弱さが原因

ずっと過去を後悔してきた。「何であの時逃げてしまったのか?」と。でも昔と変わらず今も同じ事をしている。それによって大切な人を失う。

心の何処かで、大切な人と思いつつその人を疑っている。それは自分に自信が無いから。色んな意味で強さは存在する。今までは傲っており、経済力とか学力、ルックスが良ければ、と思うことしばしば。でも自分に本当に必要な強さはそんなことではない。勿論、それにより求める強さの一部は手に入るかもしれないが。本当に自分が欲しいものは人望だと感じる。他人を信じて止まない心だと。余裕が無くなると直ぐ自分の事しか考えられなくなる。どんな出来事も受け入れる器を。他人を救えるくらいの気持ちの余裕を。

抗うつ剤はやはり効くようだ。とても落ち込む出来事があったが、冷静で居られる。今後の自分の糧にすること。それに思考の切り替えを。どうせ生きるのであれば、あらゆることを楽観視するべきだ。(それが難しいから病むのだが。。)自分はどう在れば良いのか?考える。でもそんな答えなど無いのだけど。

不安や恐怖は現実化する。これは、過去の経験から明らかである。考えれば考える程。また、逃れようと思えば思うほど。逆に何があっても受け入れるという精神であれば、事が容易く変わる気もする。何があっても動じず。それこそ、”メメント・モリ”で。

人の気持ちは移り変わるものであり、そこに執着することは望ましくない。何事も諸行無常。自分の幸せでなく、人の幸せを願え。それが自分が出来る何よりの善幸だったんじゃないかな。ただ、いつでも気持ちがブレてしまう。それはまだ自分が未熟だからに他ならない。

今後このブログの在り方は、現実の付き合いがある人に見られても良い内容にしようと思う。今後は、人間の本質を変えるのは難しいと思うけど、自分を見つめ直したい。他人を思いつつ、やはり自分も幸せに成りたいから。そのために少しづつ前を向いて生きていたい。

目的の無い旅行

友人と二人で新潟へ行ってきた。特に目的があったわけでもなく、ただふらっと。しかし、遠出すると疲れる。「やはり家に居たほうが良かったな〜。」と思ったりもしたが、家に居るより得るものはきっと多い。

観光地を巡ったわけでもなく、基本食べてばかりの旅だった。まぁ、それでも良いのかな?という気もする。一緒に行った友人は大学の頃出来た唯一の友人なんだが、やはり、距離をおいた方がお互いのためかなと思ったりする。前にも同じこと書いたけど。お互い幼いし、交友関係もほぼ無い。それじゃあいかんよな。と思う。結局、他に友人が居ないから遊んでしまうのだが。今後は考えよう。

旅の道中もこの先どうしたら良いんだろう?とか、自分はどうあるべきなんだろう?ってことをずっと考えていた。何となくまた3冊位本を買ってしまったり。本を読んだところで変わることは無いのに。自信をつけるにはどうしたら良いのか。また、他人の関わるのはどうしたら良いのか。失った社会性を元に戻すことも、過去をやり直すことも出来ることではない。

自分の身の丈を思い知る

自分が憂鬱に成る原因というのは同世代と比較した時、当たり前に皆が行っていることが出来ないことである。一番大きいのは対人関係。幼い頃から人とまともに話すことが出来ない。またそれに拍車を掛け、不登校で引きこもりに成り社会性を失ったことで更に。また、それが過去自分のしてきたことであり、過去の共通の思い出等も話すことが出来ないから余計に何も話せない。辛いことから逃げた過去。でも、それと同じくらい孤独で虚しい人生だったことを身勝手ながら分かって欲しい気持ちもある。

同世代と同じ経験をしてこなかったというのは、あらゆる弊害を齎す。少し前までずっとで臭いものに蓋をする精神で生きてきたので落ち込むことは少なかったけど、直視したここ数年はとても辛かった。例えば、普段の生活でも学生時代の友人は居ないから遊ぶことも連絡し合う事もないし、行事事(同窓会や結婚式)も呼ばれることすら無い。将来自分がどうなるか?想像した上で歩んだ人生だったが、やはり求めてしまう。他人にそんな話を聞く度に本来笑顔で聞くべきことが悲しくなってしまったりする。そんな事を思って他人と接すると話している相手も重くしてしまう。自分から人が離れていく原因も全て分かっている。そうなりたくないから、顔色を伺うことしか出来ないけど、その場しのぎで何の意味もなく、結果的に去っていく。それは相手が悪いわけではなく、何も話すことが出来ず、また本質的に信用していないから本当の事を全て話せず誤魔化している自分が何より悪い。何時までそんな風に生きているのか。こんな年齢に成ってまで先々の事を踏まえず勇気がないから本質を出せない煩わしさ。

今日読んだ本に書いてあったこと。「自分は自分にしか成れない。」確かに自分は、上記のような過去があり、また、幼い頃からどもりが酷かった。だから明るくて、輝かしい過去があって・・、みたいな自分とは真逆の人間に成りたいと思うことが多々あった。でも変えられるわけもない。せめて、輝かしい過去でなくても普通の過去が欲しいと思ったが、それも無理。前を向いて生きるしか無いのは分かっているが、どうしても何処かで過去が起因して落ち込む出来事がある。過去があっての今であるからそれは必然とも言えるけど。変えられないからどうすることも出来ない。だから、リセット(死にたい)と思ってしまう時があるんだよね。でも、自分に割り当てられた役割というのは、大多数が望む様な役ではなく、誰もが嫌がる様な、暗くて存在感がない陰のような役回りなんだろうと今日改めて思った。自分が何故一人で居たいか?それは多分、一人で居る時だけはどんな役も演じる事が出来るからなんだろう。また、一人で居ることが大半を占めていた人生だったので、というのも大きい。

今日は面接に行ってきた。とても規模は大きい所。緊張しないかな?と思ったが、上手く話せなかったな。心にブレも感じたし。感触はイマイチ。無職ではないので焦る必要も無いのかな、とも思ったり。でも内定欲しい気持ちが正直ある。気持ちの余裕有無によって動揺が現れる。自分の青さを思い知らされる。恋愛にも通じる事なのかも。モテない人間は気持ちに余裕がないから余計モテ無いんだろうな。

また空虚が襲ってきている。何をしても無意味に思える。楽しいと思えることが何も無い。皆何を楽しみに生きているんだ?全部上手くいかないから生きてて意味を感じない。過去は変えられないし・・、とか言う堂々巡りをしてしまったり。それこそ無意味な思考。今に目を向ける以外他ない。何でも良いから楽しいと思える事を探そう。一人でも楽しめる事。

とりあえず、時間をまた意識しつつも焦らずに人生を考えていきたいと思っている。

年齢に沿った経験をしないことは罪

月曜日、週初めから長い残業。残業中一個上の人と話をしていた。話すと何か俺はずっと何も経験してこなかったことは罪だな。って改めて思ったりする。皆年齢に沿った経験をして、人と関わって生きてきたんだな。って感じた。

でもそれを後悔しても今更仕方ないじゃない?過去は変えられないし、確かに対人恐怖症で人間不信に成って結局辛いことから逃げ出したんだけど、それでも他の人とは違う苦悩や苦痛を感じてきたんだよ。今だってずっとそれに苦しめられてる。普通の事が出来なかった。同世代と同じような思い出も共通点も無い。俺にあるのは何だろう?感情を殺して一人で生きていくことくらいかな。そんな人生が嫌でここ数年、感情を生かして、大多数の人と同じような幸福を求めてみたけど無理だった。それでまた落ち込んだりしたけど、今は、何よりそれが自分の生き方なんだと思ったりした。その感情を殺した生き方が自分を何より守っていた事に気づく。憂鬱さが無くなったのはその生き方に戻したから。ただ、こうして年齢を重ねても自分が求めている幸福に近づくことは無い気がするけど。

類は友を呼ぶ。年齢を重ねれば重ねるほど、それに気づく。最近思うことがあって、自分を卑下する事で、どんどん自分を取り巻く人間関係も変わってくる。それに自分が極論、基点に世界は動いている。もし死んでしまえば、この世界は無く成ったと同義だと。世界は自分中心で回っているわけではないが、自分中心の世界ではあると思う。なので、自分に対する捉え方も考え方も変えていかねば。本当に色んな人がいる。周囲の人によって自分も大きくそれに影響されそれに応じた自分を演じる。本質は何処にあるのか?それすらわからない。

今になって社会生活をちゃんと送れている人生が羨ましいと思う。昔は自分だけの世界で生きてきて、「そんな煩わしい人生はまっぴらごめん。」だと思っていたが、いざこの年齢に成ってみると、周囲がやっていることをやったことがないことに引け目を感じる。それでも今の自分の状態というのはとてもマシになったほうなんだけど。人前で声を出すことに恐怖を持っていた自分にとってしたら。でもあらゆる事を求めてはいけないな、何もしなかったことは罪なんだと日々感じる。まだまだ幼い。いつか今の悩みも無くなるときが来るのかな?周囲と同じことが出来ないことを認めることも大事だと思う。それが自分なんだから。

明日は休んで面接に行ってくる。とりあえずがんばります。

ここ数年の変化を感じる

ここ数年、環境を何度も大きく変えた。それによって感じることと自分の考えや価値観が変わっていた。前々職に居るときは毎日しんどくて、辞めたいと病みながら思っていた。今になって考えれば、恐らく上司の存在が辞めたい原因だった気がする。あとは成れない仕事だったからだと思う。今同じ仕事に就いてみて、仕事だけでいったら今の方がとてもやることが多いはず。でも以前のように取り憑かれたような体の重さを感じないのは、自己否定する事があまり無くなったからだと思う。あとはあらゆる事に縛られる事が無くなった。ただ、ある意味、考え方が軽く成った気もする。考えるべきことは綿密に考えなければいけないし、在るべき姿をちゃんと捉えないといけないとも思っている。

変化はしたけど、成長してるのかな?と言われれば疑問を感じる。変化することは一概に良いこととも悪いこととも言えない気がする。継続は力なりとも言うし。自分の人生を振り返ると継続というものに関しては皆無だった。それによって生じるコンプレックスを今も抱えていたりする。それによって、上手く人と関われないことがより自分を苦しめる。でも仕方ないと思う。だって、そう生きてしまったし、自分はそういう人間として生まれてきたのだから。プライドが高いからそんな風に思われなくなかった。実際、広義で強い人間であれば、見栄も無理することも無いのだから、自分は至らない人間だとしみじみ思う。

今の職場は辞める流れに成ると思う。もう自分でもうんざり。何処でもやっていけないと。捉え方によっては、内定貰えるのであれば何処にでもいけるとも捉える事ができるけど。基本方針の内定貰ってから辞める。は、厳守する。次行くところも同じ仕事になるだろう。仕事的には楽しいと思える。ただ、人間関係は複雑だし条件面でいってもあまり良くないけど。何となく自分が生涯続けるべき仕事はこれなんだろうな、と。学生時代は大手会社で技術職としてエリートサラリーマン的な自分を想像してたんだけど(笑)1個前の会社は任された下らない仕事をして、上司に媚売って、「条件良いし生活できれば良いや~。」的な感じで仕事してたから、やりがいなんて何も感じなかった。だから、前々職みたいに全く辞めたことに関して後悔はしていない。今は自分で自発的に動けるし、任されている部分が大きいからそういう意味ではやりがいを感じる。だから、色々見てきて改めて指針を決めた部分もある。

こんな風に思い返してみれば、転々とすることで見えてくる部分も大きかった。上記にも書いたけど、一概に良いとも悪いとも言えないけど。ただ、この先、後悔はしたくないから、この先、何か決断する上で迷ったら後悔が小さい選択をしようと思う。あとは、何事も受け入れる余裕が自分には必要だと感じる。今は表面的にだけでなく根本的に捉えからが変わってきたので、前職に居た頃より数段自分を許せてる。そう思ったら、数年でここまで変われたのだから、どんどん進めて行ける気もする。

病んでた時の慈悲深さと今の精神的安定を保てるように心掛けたい。

どう生きてもいいとも

今日も仕事でてんてこ舞い。気づいたら一日が終わってる。そんな感じ。気分は悪くない。精神も安定してきた。多分、対人関係を断ってるから。他人に期待しても病むことしか無い。それなら期待しないほうが良いと思う。

最近は自分を肯定出来る心がけをしている。思考回路をそうしている?というか。今まで何事も受け入れる事が出来なかった。普通の人が普通に出来ることが自分には出来なくてそれがコンプレックスに成っていた。他人基準で考えると人間関係が無いのも嫌だったし、過去何もしてこなかったことに関しても劣等感を抱いていた。でも、過去はもう変えることは出来ないし、上手くいかないことを受け入れる事も大事だと思う。上手くいかないっていうのは期待していたことが起きなかったって事。だから、期待しないことも、また、上手くいかないことが殆どだと認識することも大事だと思う。

自分の今の年齢を鑑みると、まぁ、いい年なんだよな。ここ数年情緒不安定を繰り返してたわけだけど、それは幼さや至らなさ故の精神のアンバランスさからだったと思う。でも今は、大分考え方も変わってきた。まだ、上記の通り、上手くいかないことでブレる事も多々あるけど。それも受け入れる事が年相応の在り方何ではないかな?

目下の目標は、精神的自立。他人がどう思うか?ではなくて自分がどう思って、自分が正しいと思うことをする。出来るだけ自分が正しくない判断をしてしまう状況を無くそうと思ったりする。自分は浅ましい人間なので、正しくない判断が許された時、その選択をしてしまう。だから、正しい選択をしなければいけない状況にしてしまおうと。あとは、様々なことに執着することは止めよう。人、仕事、お金、地位、、etc。失うことは悲しい事ではあるけど、きっとそれが必要な過程だったと思うようにしよう。それ出来事も自分の一つという解釈に達観出来るように心を改めたい。

2週間前に書類送ったところから、電話が入って来週面接の連絡が来た。なので、とりあえず面接を受けに行く。受かるか分からないし、受かっても行くかは分からないけど。今の職場は、あらゆる事が制定されておらず、職員の事を何も考えていない。今日、とうとう泊まりでの仕事の話が来た。これを続ける自信は自分には無いと思った。もう正直、転職なんてしたくなかったけど、あらゆる事が酷くて落胆する。厳守すべきは辞める前に必ず仕事を決める。空白期間を作りたくないし、決まってないと焦りが生まれて良いことが無い。務めながらであれば、収入は保たれるし、行っても行かなくても良い状況だしね。

今週土曜出勤なのであと3日。しかし休日になる方が漠然と何か考え事をしてしまって最近病んでる自分も居たりする。

期待しないことの大事さ

最近は案外心が安定してる。良くも悪くも何事においても期待をしないようになったからかもしれない。期待をすればするほど、その期待が裏切られることへの不安と裏切られたときの心の動揺が大きい。それが無くなったのが理由かもしれない。

今日は偉い人に会って、現在の職場の問題点を話し、それにどの位の予算が掛かるかを話してきた。新しく入った人と職場の管理職、幹部職と一緒に行ってきたわけだけど、ほぼ自分が話した。別に良いんだけど、今後の自分の在り方を考えないとな、と感じたりもした。話していく中で同じグループ内の別施設もアドバイスをしてもらいたいってことになった。今の職場でさえボロボロな上に他所の面倒なんて見切れないし全然給料と割に合ってない。と思いつつ承諾した。今日会った偉い人というのは、聞いただけで、どれだけ凄いか分かるくらいの職種と地位。もう俺とは全然別次元の人なんだけど何の緊張もなく話せたのは何でだろ?仕事になると話せる様になる。まぁ、人格者だったし、自分の話してる内容にも、凄く理解してくれたので、良かったかな。

一方で、新しく入った人には日に日にイライラが止まらない。別に辞めることに関しては全然問題ないと思っている。自分の人生だし、合わないと思えば辞めれば良いと俺も思ってる。実際自分も今辞めようか迷っているし。しかし、辞めるなら辞めるで明確に伝えるべきだと思う。行先も決まっているし、伝えることを躊躇する意味がわからない。時間が過ぎれば過ぎる程、あらゆることが後ろ倒しになって、迷惑になるって考えが無いらしい。また、仕事へのやる気の無さ、辞めるまで有給云々、すぐ辞めるのに他部門の仕事は安請負してしまうし、自ら考えず指示待ち。。迷惑極まりない。これで自分より年上。そして経験年数的にも上のはずなのに全く役に立たない。しかし、二人で話すときだけ立派なことを言う。大事な時には何も発言しない。また嘘が多い。・・申し訳ないけど一緒に仕事したくないので、さっさと辞めてほしい。前前職に居た頃は自分もこんな感じだった気もするけど。優れた人間はどこに行っても評価される。同じ場所でしか評価されない人間は優れた人間とは言えない気がする。・・と言いつつ、悪条件で自分ももう辞めるかもしれないけど。もう知らね~。

仕事への感じ方とか考え方とかやり方が大分変わってきた。人生観も大きく変わってきた。自分で生活費を稼いで今後の人生を考えて生きている。

履歴書応募したところから全く連絡が来ない。。何なんだよー!!!