うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

完璧主義なのかも?

自分が病む時を考えてみる。

想定していたことが崩れる時。が主で、それが少しでもズレてきてしまうと、「もう俺はダメだ。何も出来ないクズだ。」となってしまう。まぁでも負の連鎖が止まらない気もする。そう考えると何もしたくなくなって、やる気も何も無くなる。そこで落ち込むからダメなんだけど。どうとでも成る!と考えを切り替えられないのがいけない。それが強さだと思う。

この前読んだ本では、落ち込んだ感情をそのまま受け入れよう。と書いてあった。確かに自分は今まで、落ち込んだり悲しい出来事があったら、「こんなんだからダメなんだ。。」と自己否定ばかりして感情を否定してきた。何事も直視せず、ただ自分の感情を殺して自己否定する事でその問題にではなく自分に向けてきた。あらゆる事は考え方次第なんだと思う。小さな事を気にすると何故かそれがずっと同じように続いてしまう。物事を大きく捉えればきっと世界は変わるんだろうけど、成功体験も無いし自分の持っているもの全てに自信が無い。誰かに嫌われたり興味を失われるのもそれを治さない事には何も変わらない。人は完璧ではないし、感情がブレても仕方ない。そんな自分を許せるように成らないと。

まだ自分自身に囚われている。どんな人間でも本来良いはずなのに。

向上心は無いし望みもない人生

やっと休日。でも休日が最近怖いと思う。だって時間の流れを嫌でも痛感するから。平日は仕事の苦痛を耐え生きて、休みが来るのを待つ。その繰り返し。学生時代から同じような事を思ってきた(何の為に生きてるのか?)。以前、まだ10代の頃、テレビで中国では貧困で「生きるために生きる。」という何とも単純明快な理由が生きる理由だと言っていた。今はどうかは知らないけど。そんな風に思えないのは豊かな生活をしているからなのかもしれない。

正直このまま生きてても仕方ないと常々思う。人間向いてないんだと思う。口だけで言い訳したくなかったから自暴自棄に成りつつ色んな事を経験してみた。ただ何をやっても満たされないし失敗ばかり。本も出来る限り多く読んだ。そこに書かれている事もなるべく実践した。けど変わらなかった。そこで過去を振り返り、どう考えても普通なら積み上げてきた経験や人間関係などが皆無だから、絶望する。でも過去に逃げてきてしまった自分が全て悪い。そんな過去を持っているから自信なんて皆無で、ずっと引きこもって生きてきたから1人で居るのが落ち着く。というか、真面に話す話題が無い。ははっはー。。笑いながら話せる過去を持ち合わせていたかった。

最近は、嫌な仕事を押し付けられてばかり。親会社に行って部内の取り組みを発表することになった。とても行きたくないし、やりたくない。内容も腑に落ちない内容だから上手く発表する自信も無い(それでも優秀賞)。自社の社長と来週事前発表。部長とか上の人はやる気満々で心の中では(そんなにやりたいんなら、あんたらが発表しろやー!!)と思いつつ、(死ぬわけじゃないし、どうでもいいや。)と高を括っている。それらも踏まえ、昇進するための昇格試験の資料を見せられる。皆、昇進とかしたいもんなのかな?そんなもん見せられても俺は興味ないなー。給与は上がって欲しいけど。つうか、昇進なんか結果を残せば自ずと付いてくる気がする。舵取りが出来るってだけはメリットだけどめんどくさい業務が増えるのは嫌だ。小さい会社だから昇進も早いのかも?考えもクソみたいな凝り固まったものばかりだし。よく何十年も経営が続いたな、と思うと同時に設立年数が長いのに規模が大きくならない理由も分かった気がした。

今の職場より前の職場の方が心身共にとてもしんどかったし、求められる正確性とスピードが高かった。のに、今の人員の3分の1でやってたから凄いもんだよな。それなのに給料が安いという不条理。やりがいはあったけど、、。

何も期待しない生き方が自分には一番だと改めて思い直した。

浮き沈みの多い日々

また憂鬱に成った。俺は「何が欲しかったんだろう?」「何でこんなに何も出来ない人間なんだろう?」と。もう前職辞めて大分時間も経ったのに、まだ「あの時辞めなければ良かったかな?」と後悔している。冷静に考えると、将来経済的に厳しいけど安定はしてたし、職場環境にも慣れていた。しかし、自分が何より憂鬱に成るのは、自分が居なくても全く問題ないという価値の無さ。辞める前はすぐ忘れて欲しいと思っていたのに。結局、都合の良い風に解釈しているに過ぎない。全てネガティブに考えた方が自分の人生は理にかなっている気がする。他に希望を抱いてもそれは叶う事が無いので、それが叶わない事で落ち込む出来事が多い。

どうすれば望む様な人生が手に入ったか?考えてみると、やはり自信の無さ=能力の無さ→努力不足。分かってはいるけど何も出来ない。最近は憂鬱過ぎて家に帰ったら、ご飯も食わず、風呂(朝にシャワー生活)も入らず布団で寝てしまう。今週はジムもまだ行ってない。家事もしないと・・。自分の気力の無さが嫌になる。自分を変えるのであれば、プライベートで少しでも変わる努力をしないといけないのに。普通の生活すら真面に出来ない。こんなだからダメなんだろうな。何事も起こす事が出来ないからこの先も変わらず、ただ、空虚に生きていくしかない。色んな目を伏せたい出来事を目の当たりにしながら。人は忘れていく生き物であるが、そうなりたくない自分が居て、、無意味を繰り返している。

自分は異常者であることを理解した。「死んでも良いや。」と思ってここ数年自暴自棄に生きてみたが、結局何も変わらず死ねもしない。考えは以前と変わらず、一番大事なものは他人からの評価。死にたいと言っているのに、矛盾している気がするが。自己の全てが嫌で仕方ない。性格は勿論。容姿も能力も全て。過去の自分が全てを物語っている存在価値の無さ。座間9人連続殺人事件の被害者女性、ほぼ自分と同じ様な人生を歩んでいるな、と思って感慨深いものがあった。それと同時に被害者なのにこんな過去を根掘り葉掘り・・、この過去があるから前に進めないと苦しんでたのに。メディア何てものは、一過性に辛辣に取り上げるだけでその人に対して敬うなんてことは決してしない。でも極論言えば、それを話題にする行為自体もそのメディアを肯定することに成る気もする。皆が興味が無いことであれば、それ程取り上げないはずなのだから。

人間なんて本当に下らない生き物だな。空虚から逃れたり、他人から評価されたいが為に興に乗じる。結局最後は無に成って死ぬだけなのに。そこに何の価値がある?と今まで思ってきたけど、一過性に生きる事、それを積み上げる事が重要だったんだな。と今更思う。それに気づいたのが遅すぎるし、もう色んなものを得る事は難しい。ここから挽回はとても無理。過去の経験を活かし今に投じる何てことも、抑々過去が無いから難しいし。そう思うと生きる気力なんてまるで無い。最悪、海外に飛んでみても良いかも?中国とか台湾辺りなら現実的だし。そこで人生観を変えるというのも手かな。でもそんな行動するのは自殺を決心する一歩手前だろうな。上手くいかないと嘆いていたが、上手くいかないのが当然であったし上手くいく方法を模索して実行する事も出来ないのが何より無能だと感じている。

生まれたく無かったなー。。両親に申し訳ない。

幸福とは?

通勤中と昼休憩中はラッセンの幸福論を読んでいる。まだ読み終えて無いけど、なるほどな。と思う部分が多い。

万人が空を抱えている、という旨の記載があった。これはどんな金持ちでも権力者でも、である。充足しているとそれを不幸と思うらしい。人はある程度満たされない方が、それを満たそうとする欲求の為に生きる意味を見出すので不足は必要なものだと論じていた。

考えてみると、しかし、やはり必要なものは確実にあって、どうにかそれを得たいと思ったが、どうやっても得る事が難しく思えた。というか、それはもう無理な事だと自分に言い聞かせて自己完結している。でもそれすら難しい。

いつも自分は自分で選んだ選択を悔いる。きっと違う選択を選んだとしてもそういう人間は同じように悔いるのだ。一番自分にとって必要な事であり、それが無いから失う事しか出来ない答えがこれであると思う。

自分に価値を見出すのはやはり難しい。周囲が流れに任せて変わっていくのを傍から見て嫌悪していたが、自分には特殊な才能も無く、只の不適合者であり、何一つ学ぶことを怠った人間であった。故に今の自分に残ったのは空虚のみ。人生とは過去の積み重ねであり、それを変えるのも、もはや難しい。

天才に成りたいと思うのは、他に能力が無く他人を惹きつけたいという願望から。しかし天才どころか全うな人間にも成れやしない。抑々、天才に成って他人を惹きつけたいという考え方も間違っているのだろう。

自分は過去に生きて、他人は未来を生きている。未来に生きれないのも無能だから。

現実と向き合いたくない

3連休オワッター。。うくい。。

今日は朝から怠くて起きれなかった。掃除もしていない。毎週祖母の様子を見に実家に帰っているので「これじゃいかん!」って事で起きて、実家に向かった。それに、車を運転すると頭が冴えるし気分転換にも成るから丁度いい。

実家に帰ったら何時も祖母の様子を見に遠方から来てくれている叔母さんが今日も居た。ヘルパーしてるだけあって色々慣れてる。それに、気さくで良い人なんだよね。(因みに、家の家庭とは違って夫も息子もとても優秀で明るい家庭です。)親戚は本当に性格の良い人ばかりだし、ちゃんとしてんだよね。俺だけ完全に幼少期から可笑しな人間だった。親戚が集まっても顔を出さず部屋に籠っていたし、出てきても何も話さなかったから。コミュ障飛び越えてるんですな。そりゃあ、色々普通に熟すのは無理だよ(笑)

祖母と叔母に「良い人はいないのか?」と聞かれ、「居たんだけどフラれたんだわ(笑)」と話したら、「自信が無いとダメだ!男は引っ張って「俺についてこい!」くらい言わないと!」・・いや、重々分かっております。。が、言えないんですわ。過去が過去何で。。引きこもり過ぎて真面に社会生活を送れなかったから、、多分それが出来ていれば、そんな事も言えたんだと思う。そんな事を考えていたら、まぁやっぱり、改めて恋愛というものをしてしまっていたという認識を再確認した。

祖母は大分元気に成っていた。数週間前はご飯も食べれずに声も全然出ていなかったので。今日行ったら声も出てるし、ご飯も食べれていたみたい。「おばあちゃんは150歳まで生きる!」とか言っていたので安心した。ただ、浮き沈みはあるみたいだし、大分やせてしまった。精神的にも身体的にも不安定さは明らかで、「今勤めている場所が遠いからなー。もっと近くに仕事できればなー。」と常々言っていた。・・探したけどクソ田舎には仕事が無いの!!(笑)・・あんなに元気だったのに人は変わるもんだ。俺も大分変ったような気もするし、変わってないような気もする。一つ言える事は、人間関係は確実に変わってしまった。そこが、何より自分を憂鬱にされる。

実家で話したり、周辺を散歩したりしていたら長居をしてしまった。それで帰宅したら一日が終わった。やるべき事何もしてない。。でも、散歩して色々思い出したり、父が植えた植物を見たりしていたらリラックスすることは出来たかな。自分の人生の使い方を最近考える。考えるうえで自分のルーツ的なものを改めて洗い出す必要もあるな、とか思ったりもした。「自分がどう生きるか?」って事を考えてばかりいたんだけど、その思考回路が行動を全て縛っていたように思う。もう異常者なんだからどうでも良くない?と思ったら行動に移す事が出来るようになった。完全なる自暴自棄だし、自分が他人から評価された部分を全て捨てた形になるけど。

「人は何かしら意味があって生まれてくる。」そうなのかな?まぁ、確かに、評価される人間が均一の能力だった場合、それは評価されない人間である。なので、評価されない人間を生み出す事で、評価される人間を顕著にする。という意味では意味があるのかも?ただ、俺は社会的に評価されている人間というのは傲慢な人間が多く、想いやりに欠けていると思うから嫌いなんだよね。繊細で他人の事を考えられる人間程評価されない社会だと感じる。しかし、優しいだけでは生きていけないのも理解できる。学生時代に読んだ漱石の言葉がずっと残ってて、「最終的に人は暴力である。言葉で全て解決できるのであれば、歴史上戦争なんて起きやしない。」という旨が書かれていた。今でも本当にそう思う。理不尽さから身を守る為に必要なものは、”力”であり、それは体力であったりするのだろうと思うが個体で出来る事は限られるし、最終的には人力だと思う。ただ自分にはどちらも得る事は出来ない気もする。また完璧主義を目指して挫折し憂鬱に成るパターン。。

こんな意味の無い大きい事を考えず、ただその場の感情で生きた方が良いと思うのが最近。結果的に自分の存在なんて0に等しいと思い、それが自分を前向きにも後ろ向きにもされる要因に成っていたりする。考える事に疲れたし、あらゆる現実が自己否定に繋がる事ばかり。もういい加減にしろ!と感情の起伏も今までには無かった感じ。

・・いつも思うけど、文章にアウトプットすると謎の思考を常々考えてだな、と。

3連休中にやるべきだったこと

3連休。。これといって何もしていない。

金曜夜に友人と夕食とカラオケに行ってきて、「90点以上取るまで帰れない」という謎のルールを設けて歌ってたわけだけど、結局90点出ずに朝の4時までいた。自分の歌の下手さに泣いた。。その後帰宅し、数時間寝たあと、何かしなければ!という強迫観念に駆られ、昨日は群馬に行ってきた。同じ友人と。車で片道4時間位?流石にしんどかった。。目指したのは以前に温泉のチケットを頂いたので、みなかみ町の奥平温泉 遊神館という所を目指した。しかし、日帰りで遠出すると観光地なんて回れるわけがないな。。当たり前だけど。実際行ったのはその温泉施設と群馬はうどんが有名らしいので、温泉に入る前に近くのうどん屋に立ち寄ったくらい。運転好きだから別に良いけど。。

みなかみ町という場所はとても田舎で、のんびりしていた。立ち寄ったうどん屋さんも中々の集落感があって、昔にタイムスリップしたみたいだった(笑)本当に日本昔話に出てくるような雰囲気。中に入ってもなんか親戚の家に来てるみたいな。。そして、そんな雰囲気にワクワクしてた。きらびやかな場所より、そんな場所に行くほうが楽しかったりする。昔から姉には「中身オッサンだよねーw」と言われてきたのだが、間違ってはいない。温泉施設自体もなんだろうな・・。修学旅行で行きそうな?そんな感じの場所で、大人数で行ったら楽しいかも?という想像をしながら、楽しんでいた。あと、何もかも嫌になって失踪したくなったらこんな場所にきっと消えるだろうなー。。とか、もし自分がこの場所で生まれていたらどんな人生を歩んでいたんだろう?とか、道中そんなことを思ったりしながら運転していた。また機会があれば今度はのんびり行きたい。

今日は反動で寝て過ごした。やることいっぱいあったけど、洗濯物を干して、家のレイアウトを少し変えて、買い物して終わった。。明日頑張らないと。。

明日やること・・

①掃除

②発送(リコール品の返品とかSIMの返却)

③年末調整の必要書類の準備

④車検見積もり(可能であれば) ・・めんどくせえ。。まあやらないと。。

 

人の人生って何なんだろう?と今までずっと一人で考えてきたけど、他人から学ぶことがとても多いな、と最近とても思う。全く違う環境や家庭に育った他者は、自分では決して経験することの出来ない人生を歩んでいるのだから。その人と関わって、その人の歴史を知ることは自分の幅も広げるということのでもあるのだなー、と。それに伴って、貴重な今まで出会った人と縁が切れてしまったことに対してとても自分の不甲斐なさを感じる。でも、現実では自分という人間を表面化することも出来なかったりするので仕方ない部分もある。前職で一緒に働いていた人は今どうしてるのかな?と、連絡したい気持ちもあるが、後ろめたさと会ったところで・・。という気持ちもある。自分の中でどういう人間を演じればいいか?という、他人が思っている自分を繕わないといけない。そして、自分を卑下するのが常だったり。もう意味がわからない。ネットという偽りの中で本心が語れ、現実の自分では本心は隠す。アカウントを複数持って使い分けてる的な?今まではそれすら気に食わなかった。他人が場面場面で演じてるのを見てると吐き気がした。そして、自分はそうならないと自分の中で決めていた。でも、今ならその場その場で違う自分が存在するのが普通だと思える。名前と顔、自分という存在は一つでしかないけど、その中でどう演じてもどう生きても良いのでは?と。しかし、一番楽しめるのは、きっと本質的な部分で関われる人がいることだろう。

今回に限ったことではないけど、文章の構成とか見せ方とか、まるで自分のブログは考慮していない。只々、頭で考えていたことを思い出したり、今思ったことを文章にしてるだけなので。仕事と成れば、ここから再度見直して、必要・不必要を切り分けて見やすく整形したりするんだろうけど、まあこれも場面での切り分けってことで。

明日一日大切にしよう。

羊飼いの少年と狼

また憂鬱になった。何なんだろうな。自分でも分からない。何となくまた虚無感が出てしまった。だからまた、あまりネットには依存しないように極力避けてその時間を読書や体鍛えたり、他の事に使いたいと思った。そうでないと、自分を許せなくなった。無力と知って何もしない。自分が何も持たない人間だと分かっているのに得る方法を探ろうとしない。こんなんじゃ何時まで経っても自分を肯定する事は出来ない。ただ、暗い過去から努力しても肯定できると思えないから消えたくなる。これまで何一つ真面に出来ず、人との縁は継続出来ない。それが何より自分の魅力の無さを物語っており、何処にも存在価値を見出せない。ブログは日課にしようと思っていたので継続。これが意味があるかは分からないけど。。

どうすれば他人と関われる?とずっと思ってきた。しかし考えたところで他人と関わるのは恐怖でしか無かったから変わる事は出来なかった。矛盾しているようだけど、他人と関われるように成るには、傷つきながらも他人と関わるしかないと思う。そう思って色んな人と会いたいと思った。まぁ、昔の自分ではとても考えられない事をしている。でも、そんな事も今ならどうでも良いと思える。冷静に考えてみると失って困るものなんて無かった。強いて言うなら、プライドか。全く無意味なもの。

今日、昼休憩中に色々考えていた。「学生時代、自分は引きこもっていたので交友関係皆無であった。社会人に成ると、交友関係を築くのが難しくなって、このまま意味の無い生活を続ける意義は何処にあるのかな?」とか、社会人に成ると交友関係を築きにくいから「人を集めて何か、学生回帰みたいなことをしたいと思うけど、どうやったら人は集まるのかな?抑々人を集められる程人間的魅力が無いな。。」とか。流行の人みたいな人もそれに群がるミーハーも嫌いだったが、人気がある人って単純に考えれば魅力ある人なんだな。と今なら思える。別に人が多ければ良いというわけでは無い。しかし、人を集めるというのはとても難しい。

羊飼いの少年はつまらない日常から楽しみを見出すために、「狼が出たぞー!」と言って、人を集めて脅かせて楽しんだ。最終的に少年は嘘つきだと認知され、本当に狼が出ても誰にも信用して貰えず、少年の飼っている羊は次々食い殺された。・・自分がやっていることはこれと大して変わらない。本質的に誰かを惹きつけれる力は無く、ただ、思考の1層目とか2層目辺りで突発的に思いついた言葉を子供のように発信しているだけ。あとは普段言わなそうなことを意識的に用いているだけ。だから、実際の自分とネットの自分は乖離している。ただ、幼い頃、友人と楽しく過ごしていた日々を色んな人と会って思い出していた。たぶん自分の本質的はこんな事なんだろう。他人が楽しんでいたり、他人との縁が繋がっていくのを見てるのが嬉しかったりする。今後はもっとそんな気持ちを大事にしたいと感じた。他の事が何やっても楽しいと思えないから。そんな風に生きる事がずっと出来ていれば良かったのにね。何も考えず始まったオフ会(鬱死会)は案外、素晴らしい会だと個人的に思ったりしてるんだけど、参加した人はどう思ったのかな?参加した人が良い人ばかりだったからそう感じただけなんだろうけど。

Liars are not believed even when they speak the truth.
嘘つきは真実を話している時でも信じてもらえません

それでも良い。あくまでそれを主眼に始めた事。一時を楽しめるなら受け入れます。