ちょいポエな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

変えられない過去

 無職もうやめたい。早く仕事がしたい。お金が入らないからどこにもいけないし、やることないし、将来への不安が尽きない。さっさと面接受けて仕事したい。今週の水曜に最終面接。これでどこに行くか決まる。

 何もすることが無いから、また悶々と色々と考えていた。そして、「生きる意味」とか、「自分の価値」とかを考えてまた憂鬱になった。人生を変えたくて色んな本を読んだが何も変わることは無かった。生きる意味の答えは、極論「幸福に成ること」。しかし、そう成れない自分がいる。そうなるためにどうすれば良いのか?ずっと考えても明確な答えが見つからなかった。

 何となく、過去の同級生のSNSを覗いてみた。そこに上記の明確な答えがあった。自分が幸福に成れない一番の理由は、やはり過去だった。同級生と同じような現在を語りたかった。思い出を語りたかった。誇れるものが何もなく、ただ、その人達が歩んだ道筋がとても羨ましかった。もし自分が同じ様に普通に青春時代を送れていて、今でも思い出話が出来る友人がいれば、きっと自分が得たかったものは得れたのだろう。もう過去には戻れないし、変えることも出来ない。だからどうやっても将来幸せになれる想像が出来ない。

 何故、自分は自分として生まれたのか。大多数と同じ様に生きれたらどれだけ良かったか。過去にイジメをしていた人間が幸せそうにしている現実に「報われない」と感じる。世界は理不尽なものだ。忘れていた感情が蘇った。「自分は一人だ。」そう思えば、何も期待しないし他人と同じような人生を望むこともない。理想と現実のギャップにより鬱は加速すると思う。本来、自分のハードルは仕事をして、給料を貰い生活が出来れば御の字であったはずなのだが。いつしか、同年代と同じような生活を望んでしまった。反省と後悔。

自分は自分でしかない

 火曜日面接に行った会社から翌日に一次面接通過連絡が来た。来週に最終面接になった。早ければ今月中に内定が決まり、来月頭に入社の流れになるかも。条件次第で入社をするか決める予定。その前に内定を貰わないといけないけど。

 SNSで小学生の頃の友人の近況を何となく見ていた。成長してるな、と改めて思う。自分と対比して「何故自分は同じような人生を送れなかったのか。」落ち込んだりもした。ただ、以前よりは落ち込むことは無い。自分は自分だと落ち仕込めるから。もし、その頃の友人と今でも交流があったりしたら、きっと色んな事が変わった気がする。そんなふうに生きれない人生が歯がゆい。

 自分の中身は小学生で止まっている気がする。唯一の学生生活を送った期間がそれだったというのもあるし、他者と触れ合う機会があったのもその期間だけだった。自分の中での同級生のイメージはそのままで止まっているが、皆もう仕事では活躍してるし、結婚もして子供もいたりする。それが自分の年齢ではもう普通の事なのだが、そう成れていない自分がいるのは過去に囚われているからなのかもしれない。

 ただ、人生の中で一番好きな自分は今である。その認識が変わったというのは自分の中では大きい。他者から見たら評価は大きく乖離するかもしれないが、自己否定も他人との比較も、繕いすぎた自分も今では無く成りつつあり、心に少しづつではあるが余裕が生まれた。色んな事に挑戦したいし、色んな人と出会いたいとも思う。一人で居ることがつまらない。当たり前の事ではあるが、そんなふうに感じられるようになったのは今。幼い頃の感覚を蘇らせてる感じ。対人関係において何にも疑問を抱かず、コンプレックスを抱かず、ただ、目の前の相手の向き合うという単純なコミュニケーションをしたい。俺はそもそもそんな人間だった気がする。

 自分はあらゆる能力が劣っている。ただ、その中でやれることをすればいいとも最近では思う。ハードルを低くして、一つづつ乗り越える努力を今後はしていこうと思った。今までは過去の経緯があって、ごく一般的なレベルより何段階も上の事をしないと、認められないと自分を追い込んでいたが結局それが何より自分を苦しめていた。何せそれに見合う能力も経験も無い。無い物ねだりをしていただけ。もし、それに早く気付けていれば、望んでいたものは手に入ったのかもしれない。でも、それは今だから言えることで、数年前の自分はそんなふうには思えなかったのだから仕方のないことだ。

 職歴を汚してしまった。20代前半の自分がこの現実を知ったら絶望することだろう。常に他人の評価を気にしていて、自分の中で設けたボーダーに雁字搦めに成っていた。しかしそれは世間一般、大多数が思う評価でもあった気がする。だから、誤りではなく、寧ろその生き方が正しいのだとも思う。今が誤りだとは思わないが、世間の目は勿論厳しい。ただ、自分の人生だ。それにおける責任も評価も全て自分にある。真摯に受け止めようと思う。そして、これからどう生きるべきか。それが何より大切なことでもある。

 目の前の出来ることに集中する。それがシンプルに考える自分に出来ること。

過去を捨てきれない

 やはり、学生時代を空白に過ごしたため、どうしても弊害が出てくる。学生時代の友人が居ないこと。思い出が何もないこと。他人と共通の話題が無いこと。・・etc。そういう自分の背景を考えるとこの空虚な人生にも納得がいってしまう。好きだった人に対してはそのコンプレックスで嫌われるのが怖くなってしまった。その人はちゃんとした学生生活を送った人であったし、それが何より自分を落ち込ませていたり。

 過去は過去だと割り切る以外他ない。ただ、、皆と同じような出来事を人生に踏まえて生きていきたかった。でも、それらを踏まえて、こうして生きている自分を認めても良いんじゃないかな?最近はそんなふうに思ったりする。不登校には成るべきでは無いと思う。それは同年代の友人と成長する機会を失ってしまうから。必ず、将来そこで苦しむことになるから。

 どこか、自分がどう生きれば良いのか見失っていた気がする。単純に今自分が出来ることをすればいい。きっと少なからずそれで認めてくれる人が出てくる。それも自分の過去を理解した上で。

再三の転職活動を通して感じること

 今日も面接。行った場所は大手のグループ会社。大手のグループ会社だけあって待遇がとても良く、条件的には文句なし。しかし、若干遠い。車で約1時間ほど。

 午後からの試験だったため、午前はのんびり。ただ、適性試験があるって書いてあったのでSPIの勉強をしていったんだが(付け焼き刃)、実際には面接だけだった。面接の感触は良かったと思う。担当者の方も親切に対応してくれたので好印象。また、会社に行くまでの交通費まで出してくれた。他に内定が3〜4つほど出ている事を伝えたら、早々に結果をくれるとのこと。2次面接はあるが、1次面接が通れば、ほぼ内定らしい。1次面接も総務の人には、「自分個人の印象では通ると思う。あとは他の面接者がどう感じたかだけ。」と言われた。とりあえず結果待ち。

 他で内定貰っているところからも今日4社連絡を貰った。1社は非正規で内定通知。6ヶ月後、本採用もありほぼ公務員待遇のところ。ただ、非正規期間は時給950円。冷静に考えると生活出来ない(月収にして13万ちょい。ここから税金、交通費、生活費を引いたらほぼ残らない。というか、マイナス。)。あと求めているレベルがバイトレベルで採用試験時にガックリ来たので辞退した。2社目は提示金額が物凄く低いので内定は出たがそれを理由に保留したところ。調整した結果、調整手当+3万を提示された。(・・え。。渋ったら+3万も付くの?だったら最初から提示するべきだろ。。不誠実だな。)と思ったり。まぁ、それでも安いんだけど。ただあまり行きたくない感じだったので。ここも辞退しようと思う。3社目も条件的に給料が安い。そして渋って、「難しいと思うが上に掛け合ってみる。」とのことだった。で、その結果は、、難しいとのこと。直近で入ろうとしていたところだったし担当者の方がとても親切な人だったので迷っている。ただ、今月末まで回答を待ってほしいと返答した。やはり条件が希望より低い。相当頑張ってはくれたみたいだけど。というか、この業界のSEは総じて安いから、相対的に考えれば安くはないんだけど。4社目は派遣での内定。時給は提示額から300円アップしてもらった。ただ、それでも安かったのと「派遣雇用」に不安があったのでこちらも辞退。

 今日面接行った所が第一志望になるかもしれない。「この道(直近で働いた業界)で生きていく!」と決めたのに、メーカー系に心が移るというブレブレさ(笑)ただ、年齢的にももう将来を見据えて永住できる仕事場に入りたい。直近で働いていた業界は、とてもやりがいを感じるが、生活を考えるとやはり業界でメインの職種ではないので、条件的にも立ち位置的にもとても厳しい。出来ることであれば、内定貰ったところを正社員で働いて、副業で休日で月2日位働いて関わっていたいというのが願望。直近で飲み会があるので前職の事務部長に冗談交じりに相談してみようかと思ったり。

 繰り返しの転職活動になってしまったが、本当に色んな人がいるし、志望した会社からお祈りが来ると落ち込むことが多々あるが、巡り合わせって大事だな、と思う。今にしてみれば、落ちたところは本当に行きたかったか?と言われたら、焦って内定が欲しかっただけに思う。だから、今は最善な道を歩んでるように感じる。

 人生の風向きは悪くないかな。

ジョブホッパーな人生

 休み過ぎて脳みそが腐りそうだしお金も無くなっていくので早く仕事がしたい。面接には行っていて、一応内定は何社か出た。ただ、条件が想像したより低いのと、大きい規模の仕事ができそうに無いので保留してもらっている。決めてしまえば明後日に出勤だったんだが。もう転職はしたくないという気持ちがあるので慎重に決めたい。

 明日も面接。望んでいる業界とは違うのだが、誰でも知っている大手の子会社で条件がとても良い。正直もう現実を見るべきとも思っているので、ここに内定貰えたら行ってしまうかも。とりあえず、面接を受けに行く。

 何が正しいのか、最近分からなくなってしまった。ただ、社会的評価を考えたら、長く務める事がとても大事だと感じる。自分でも何やってんだろ。。と思うことがしばしばあるが、失敗して見える事も多い。しかし、今後は年齢に沿った生き方を心がけるつもりだし、将来設計もしないと。もう若くないんだな、と改めて思う出来事が多々あったから。

 ネットやテレビなどの娯楽から離れるとやはり、やるべきことへ注力できるので離れるべきだと感じる。あと最近の変化は気持ちに余裕が出来たかな。今なら他人をちゃんと考えて行動出来そう。ただ、仕事決まらないとそれもできないか。案外今年は良い一年に成る気がする。

異常者の小さな正常思考

 今日は、昼頃に起きて、昨日やろうと思っていた部屋の掃除と図書館で本を借りてきた。有言実行。あとは応募していたところから何件か連絡があり、面接日程の調整。ギリギリまで色んな所を回りたいと思う。明日(今日)は面接が3件。詰め込みすぎたかな?と思うが、休みすぎて死んだ脳みそを動かすにはそれくらいが丁度良い。

 図書館で3冊本を借りてきた。2冊は自己啓発?というか何というか、心の持ちよう的な本。薄い本だったから読了。もう一冊は村上龍の「共生虫」という本を借りる。中身をパラパラ見て、自分の過去に近い印象を受けたので。まだこちらは数ページしか読んでいない。村上龍は、TVで話している姿とか、母親が不登校の頃、買ってくれ読んだ「13歳のハローワーク」から気になっていた人だった。そんな事を考えていたら、ふと、(実際に会ってみたいなぁ。。)と何となしに思ったりした。そして、ごく一般的に芸能人に会いたいとか思う人は、恐らくこういう感覚でライブやサイン会に行ったりするのだろうと合点がいった。

 社会生活をしてこなかった失われた空白期間というものが、やはり自分の中で大きな弊害に成っている気がする。普通とは何か?と問われるかもしれないが、やはり普通の事が普通に出来ない自分がとても憎い。一番大きいところだと人間関係。対人恐怖症だった時を思い出した。というより、今もそれは変わらない。ただ、取り繕っているだけ。だから深い人間関係に及ぶと臆してしまう。とても素で人と向き合うことが怖いのだ。少し前、恋愛がしたいと思い告白はしたものの、結局そこでその人と向き合うことが出来ない。結局フラレて落ち込むという何ともよく分からない行動をしていた。冷静に成った今だから気づく事でもある。「自分は普通ではない。だから何も望まない。」という昔誓った事も、いざ、この年齢で周囲の人間が大きな人生の転機を迎えたりしていると自分も同じ様な生活を送りたいと思ってしまう。しかし、実際は自分の事もまともに出来ておらず、将来に関しても悲観的。交友関係も広げられないという、必然ではあるが何とも哀れな結果である。

 一人で居ることが苦痛だ。これが普通の感覚だと思う。ただ、自分にとっての普通は一人で居ることに成ってしまった。それが何よりの成長を拒み、また、経験という人間の生活に置いて最も重要なものを疎かにさせた。大人に成るとはどういう事か?全ての選択を自分で行うことが出来、また、その行動において責任が取れること。自分を自制できること。本に書いてあった内容であるがその通りだと思う。年齢的には大人に成った。しかし、本質的に自分は大人と呼べるのか?ただ、言えることは一年前よりも、二年前よりも確実に自分の気持をコントロール出来る様になったということである。周囲の同世代とは比較に成らないほど微々たる進歩かもしれないが。もう一つ、大人の定義として、やはり経済力があることだと思う。経済力?というより、自分の能力がお金を稼ぎ生活が出来る能力か。どこでも通用するスキル。また、どんな状況においても稼げる力。もしこれを伴うことができれば、自分の中で合格点が出せる気がする。

 ずっと認めたくなかったが、やはり自分は鬱病なんだと思う。それもずっと前から。それこそ不登校に成った当初辺りから。ただ、それを理由にしていたらいつまでも自立ができないし自分が望むような未来を得られないと思っていたから認めたくなかった。でも、認めて周囲と同じ様なロードマップを描くことを諦めた方が自分の生き方に合っているような気がする。もし、過去、ふとしたきっかけで不登校に成らなくて良かったのならば、きっと同年代と同じ様な生活を得れたのではないか?と落胆することもある。ただ、自分の今が在るのは、過去によるものであり、他の誰でも無い自分なのだ。

 まだ、人生諦めるには早いし色んな道がある。人生には数学の様に確定した正解なんて無いのだ。

孤独に慣れた生活

 無職になって一週間位経った。もう何もすること無いし将来の不安が大きいので早く仕事がしたい。とりあえず、今日非正規の応募をしたが、条件がとても悪い。正直生活できないくらい。でも、半年後、正規雇用があるそうなので、成果次第では正規雇用も望めるのかな?業務は物凄く大変だというのがよく分かる。バカでかい施設なので。ただ、最先端の設備で仕事が出来、かつ、ほぼ公務員に近い(待遇が)。生涯努めていけそうだと感じる。ただ、前みたいに病む事も考えられる。というか、企業規模で言ったら病んだ時のほぼ5〜6倍ということを考えると病まない自信が無い。。うーん、、まぁまだ面接にも言ってないし、とりあえず、行って結果が出ないと何とも。ただ、正職で内定貰っているところへの返事も早々にしないといけないのであまり迷ってる時間はない。あと非正規の方は面接時条件の交渉はしてみようかと。駄目なら駄目で正職で内定貰ったところにいけば良いし。何はともあれ、(正規内定)雇用条件も聞いてないし、(非正規未内定)面接も受けていないのでまだ迷うには早い。

 今日は凄く精神が安定していた。やはり躁鬱なのかな?昨日までほぼ布団から動けなかったが、今日は何でも出来る気がした。落ち込んだり上手くいかないことを落とし込んで冷静に対処出来る気がした。この気持がずっと続けば良いのだが。。上記、非正規採用に成った際、実家に帰省することも考えた。ただ、家族とは距離をとっているのであまりその選択は無いのかな。電話やメッセージで話すこともしていない。それは一種の自分の中での甘えを無くすため。無職になっても実家に帰る選択をしないのは、自分の中で負けたくないから。幾ら仕事を辞めても、無職(ニート)に成っても自分は良いと思っている。親に甘えなければ自分が苦しむだけだから。逆に実家に暮らしていたら親に何を言われても仕方ないと自分では思っている。親が居ないと生活できないという事を実証してしまっているから。でも結局実家に頼ってでも持続して仕事をしている人間の方が他人の評価は高いよな。勿論、一人暮らしで勤続年数が長いに越したことはないけど。他人にあまりそのへんは見られない気がする。逆に一人暮らしで退職を何社も繰り返しているとかなりのマイナスポイントに成る。勤続年数が長いからって、「=スキルがある。」とは言えないと実感したが、仕事が出来なくても「=長く勤続する力がある。」ってことでもあると思う。社会は難しい。というか、そもそも俺は社会不適合者であるので、不登校の成れの果て感が凄いけど。それを理由にしたら不登校だった人で立派に社会で活躍してる人に失礼に当たるから今度は継続できるよう頑張るつもりです。

 人と関わらないと寂しいという気持ちが少し前まであったのだが、今は落ち着いた。寧ろ一人で居ることが落ち着く。他人にどう思われるか?それに囚われて雁字搦めに成っていたが、今は大分素で居られる。「自分の過去を知られたら嫌われる。」とか、「こんな年収だったらダメ。」とか、「ルックスも学歴が高くないから。」とか。ううん、、アホだな(笑)そんな評価をする人にそもそも俺は好かれたかったのか?気持ちに矛盾を抱えて大多数が称賛する人物像に夢見て自分を合わせたいと思っても持ってないのだから無理だろ。今までの固定概念を捨ててしまえば楽だ。色々望みすぎていた気がする。自分は自分なので今後は前向きに捉えていきたい。

 明日は図書館に行って部屋の掃除するぞ!