うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

嫌な連絡

何となく、今日仕事中に思った事があって、ようやく年相応の在り方みたいなのに気づけた部分があった。それと同時に父が定年を迎えた時、同じ職場の人が父の送別会をしてくれた事を思い出した。実家で食事とかを用意して迎え入れた感じで、その時、自分は大学生で、文句垂れつつ色々手伝っていた気がする。あの時、気さくに話してくれてた若い感じの人って、今の俺と同じくらいの年齢で、「俺もあと何年後かにはこんな感じに成ってるんだろうなー・・。」と思ったものだった。そんな事を思い出し、自分がそうあれていない事に惨めさを感じた。そうだったな。。やはり、他人と関わる経験が無いとさ。自分を指標するものが無いから、どうあるべきか?が明確じゃなくて、ただ時間を過ごしてしまう気がするんだ。本当に自分の非力さを感じる日々です。

仕事終わって帰宅後ジムに行ってきた。何となく、漠然と時間が過ぎるのが嫌で。そうして何も変われない自分を許せなくて。考えるより行動。頭で考えても何も好転することなんてない。ジムで鍛えてると親からメールがあった。とても嫌なメールの内容だったので気力が失せて早々に帰宅した。とりあえず今週末実家に帰って、その時は花を持っていこう。幼い頃約束したことは果たせそうに無さそうですね。。一緒に居た色々な思い出があるので、、また落ち込んでしまいそうです。

やっと気持ちが安定してきたと思ったら、また大きく落ち込む出来事。人生は嫌な事の連続。でも、それが人生と言えばそうなんだろう。そうして人は成長するのかな?・・でももう疲れてしまった。少しくらい良い事あっても良いんじゃない?ダメかな。

目標なき人生を思案

月曜日、、相変わらず憂鬱です。ただ、一番考える事が多いのも月曜日だったりする。

土曜日が来るのを待って、日曜日に途方に暮れて、また同じように月曜日を迎える。まさに「単調な~生活を繰り返すだけ~♪」の人生。それでも頑張ってる。ただ、それ以上に頑張らないと持たざる者は得られない価値ある人生。しかし、その単調な生活を繰り返すだけで精一杯なのが自分だったりする。

思えばいつでもこうだった。というか、その単調な生活を放り投げた人生だった。頑張れなかった。ただ常に怠くて、ただ誰もが自分に対して嫌悪してるように感じて。不登校児は甘いと言う人がいる。・・確かに甘かったんだと思う。だって、親に縋ってただけ。結局、自分で生きられない奴は甘え。心が優しいとか云々は綺麗事なんだと思う。でも、結局それで最終的に苦しむのは自分なんだから仕方ないのかな。不登校ニートになったら、そう思う事も無いのかもね。

自分が居なくて成り立つ世界なのは当たり前だけど、何処かに自分が居なくても成り立たない世界が欲しいと望んでいたりする。それは多分そんな大それたことでは無くて、誰かに必要とされたいという気持ちだけだと思う。それを素直に出せないのは、今までの過去と経験からだろうね。仕事中にふと「何故自分には価値あるものを与えてくれなかったのだろう。」と感じ、どうしようもなくこの世界から消えたくなった。

上記に「不登校は甘え」だと書いたが、普通に誰とも接することが出来、様々な事を器用に熟せる人間がいる。そうやって恵まれた人生を歩めたら、その人の人生はきっとその先も上手くいくんだと思う。自信や他己承認を常に与えられて育てば好循環に成るのは当然であり、そういった人間からしてみたら、きっと私のような人間を理解するのは難しいだろう。きっとそういう人間が”甘え”という言葉を使う。でもそれは必然であり、理解すること何て出来ないのだから仕方ない。

そうだ、やはり自分は異常者だった。ごく一般的な望んだ人生を歩むことは無理だった。感情を殺す事に重きを置くべきだった。生きてて何がこの先楽しいんだろう。目標何て何も無くなってしまった。人間欠陥者。人が笑ってる時が怖いという感情が芽生えたらもうおしまいだ。

最近何も能力が無い自分にイライラする。

試験を受験しに大学に訪れて

今日は試験でした。(情報系の)結果は言わずもがな駄目でしたが(笑)もう勉強したくない。と言っても実質一時間くらいしかしてないけど。学力の良し悪しは勉強が持続できるか、出来ないかだと思う。持続できないからアホなんですなー、私。

試験は某大学で行った。大学に行くと少し元気になる。ただの現実逃避以外の何ものでもないんだけど。大学生てなんでも出来たよねー。サークルの写真とか見ると羨ましさしかなかった。大学時代何もしてなかったから今の自分があるんだけどね。逃げてばっかりでしたねー。今思えば、色々経験して傷つきながら成長出来る良い期間だったのに。また後悔、いかんなー。。

大学時代を振り返ると、今の自分の年齢ってそれこそ、大人でちゃんとして人間に仕上がってると思っていた。でも実際は全然。よくよく考えると、ホントクソみたいな人間だな(笑)これはフラレて当然でした。やはり家に篭っていては何も得られない気がする。早熟してる人は多くの人と関わってその中で何かしらの影響を受けて、自己投射しているんだと私的に思う。自分がこんなにも幼いのは「年齢のモノサシ」が今まで無かったからだと感じる。今頃気づいておせ~ぞ!!オッサンー!!!!

・・何も楽しくねー。。何を生きがいにしていきりゃいいのか、わからんぞ。。仕事辞めたあと、ここ半年間俺はどうあっていたかった?自分で選んだ道なのに後悔ばかり。失ったものは大きかった。でも結局無能だから意味なかったかも。なんで生まれてきたんだろ?少しくらい普通に人生歩めたかったんかね。絶望ですぜ、神様。。。

全て放り投げたい人生

明日は試験なんですが、全くしておりません。勉強は昔から嫌いでして、社会人に成ってから更に嫌いに成りました。大学時代一時期、勉強が好きに成った頃もあったんですが、就活に失敗してから何もやる気がなくなってしまいました。しかし、これも言い訳でしょう。こういうところが私のダメな所だと昔から思っておりましたが、中々人間変われるものではありません。それに自分が就活で失敗する事は分かっていました。過去の空虚な日々から。そして何より話せませんでしたし。面接に行くというだけで中々立派だったんでは?今でこそそう思えます。

今日は雨が降っていたこともあり肌寒くなりました。そして、家の中で布団に入っていたら、何故か昔の心持を感じることが出来ました。私は雨と相性が良いのかもしれません。そして、何故その心持を失ってしまったのか?考えてみたら、やはり周囲の同年代と違う学生生活(不登校)だったからだと、改めて思いました。

私自身、昔から思っていることがあって、「自分は明るく成ってはいけない人間。」という思い込みが何時からか芽生えてしまったのです。恐らく自分の根底を表に出すと攻撃対象となるからでしょう。それも力無き弱者の考え方ではあったのですが。感情を表に出すという行動が、そしてそれにおける周囲の反応が怖かったのです。今でも変わらずかもしれませんし、それが何より男らしさというものを失わせた原因でしょう。

とても幼い頃から、私は縁を切ってばかりだと、上記の心持を抱いてから過去を振り返って思いました。保育園に入り、大多数の人間からイジメの対象にされる中、1人だけ親友と呼べる友人がいたのですが、その友人も引っ越す事に成り、完全に一人に成ってしまいました。引っ越した先に遊びに行ったのですが、色々ごたごたがあり、それっきり縁は途絶えました。その後、小学校に上がり、そこでも親友を得たわけですが不登校に成り縁は切れました。それ以降、引きこもったことで人間関係の構築が完全に出来なくなって今に至るわけです。全て自分のせいだったのです。そして、今それを後悔しても遅いわけで。全て先に苦痛を投げて逃げた甘い人間ですから、当然の結果です。だから今、先に投げず行動に移そうと色々動いたわけですが、失敗ばかりでした。自分には根本的な能力が無かったと思い知らされました。

そう考えると、人の人生というのは最初からほぼ決まってるようにも思えます。恵まれた人生を歩んでいる人間はずっと同じように多数の他者に承認され明るい人生を歩んでいく事でしょう。逆に私のような暗く無能な人間は誰にも認められず暗い人生を今後も歩んでいくに違いありません。相対する人間同士は理解できるわけがありませんでした。でもそれを望んでしまったのが何よりの失敗だったかもしれません。

この先、生きてて何か意味があるのか?そんな事をずっと思って、またいつも通りの暗い気持ちが蘇りました。「生きていれば、何時か良いことがある。」という希望を抱ける年齢ではもう無くなったと感じていますし、それを理解するのに十分な歳月を重ねました。もし、普通の学生生活を送れていたら、恐らく私が今得たかったものを得れた、そう感じます。

半年前に戻りたい。ただ、どっちみち後悔したことに変わりはないんでしょうね。結局何処に行っても社会不適合な私は無意味だと悟り、そうやって何度も逃げ出すから何も無いんだと自分を戒める事しか出来ません。そこから得られるものなんて何も無い訳ですが。人生をやり直す方法何て無いですが、そう考えると何処にも私には生きていく術が無いのです。八方塞がりな人生を思うと動悸がして無気力になってしまう事が多々あります。それもこれも全て能力が無い自分のせいなんですが。

時間だけ過ぎていってしまいました。大事な人は失ってしまいました。何も残っておらず、また同じことを繰り返し、更に追い詰められるんですね。この現実を見たくないし感じたくない。誰も信用できない。何もかも・・と何時も一人に成る事を望んできた人生でした。親にその分負荷を掛けられていた子供時代とは違い、今はもう逃げ場はありませんから、逃げるとしたらやはり死ぬ以外他ないでしょう。

過去のほんの少しの明るい部分で生きる事しか救いが無い。惨めですね。

さあーて、今日までのうく山さんわぁー?

どうも、ヘロでふ(・ω・)

失踪から帰ってきますた(´-ω-`)

明日は試験、しかし無勉で合格の見込みはあるのかぁー?

来週もお楽しみにー(・ω・)ノ

 

・・サザエさんパロΩ\ζ°)チーン

脳みそが死んでる

やはりご飯食べないの人って憂鬱になるもんなのかな?・・いや、違うか(笑)口の中を縫ったので食べたくても食べられない。。しかしなぜか体重は増えている。なんで?まぁ、どうでもいい。

えーとですね、、鬱期に完全に入りました。。本当に何もしたくなくなってしまった。(俺はダメだ。。)とずっと頭の中で言ってる感じ。完全なる不完全燃焼。でも自分の能力じゃどうにもならないし。現実も見たくないし頑張りたくも無い。疲れてしまった。何かもう過去の経験から生まれ持ったものが違うんだな、って。でもそれも逃げだよね。死にたいと思う事も逃げ。必死で死ぬ気で頑張ってないから。でも頑張れない。

病んでるから何も出来ない。と言い訳してる自分がいる気がしてならない。そんなんだから更に悪い方向に人生が転がっていく。何時だって頑張る努力より逃げる努力ばかり。だから何も得る事が出来なかったと思い知ったのにまた同じことを繰り返す。

もう何も考えたくない。。そういや「良い事ないかなー・・。」と、最近神頼みばかりしてたけど、過去ずっと神頼みしてきて良いこと何て一個も無かった。神社にお参り行っても同じ。だからもう何もしない。地に足付けて生きていこう。(無理だけど)

行動しても同じ。結局ダメだった。行動しないと変わらないと確かに思うけど。どうか来世は真面な人間に成れますように。若しくは生まれませんように。・・早速神頼みやー(・ω・)

唐突に無気力

今の会社に入って初めて仕事中何もやる気がしなくなってしまった。今まではそれなりに頑張ろう!という意欲があったが、唐突に「俺は何の為にこんな仕事してんだろう?」と考えて、パソコンの前でぼぉーとただ座ってた。(やってる感出して)

少し前の自分のブログを読み返してみた。無職の時は兎に角必死だった。今は頑張る理由も無くなって、ただ漠然と行ってるだけ。自己完結するために物質的欲求を満たしてみたけど、その喜びはすぐ消える。

何故自分はこんなにも無能なのか?それを考え出したら体中から汗が出てきて動悸もした。生きてる意味は?と何処かに籠りたくなった。一種のパニック障害的な。生きる価値がどこにも見当たらない。逃げて来たから当然だけど、でもどうしても対人恐怖は拭えない。望んでなったわけじゃない。幼少時から青年期に掛けて普通に話せる人が羨ましかった。多分、そういう人は社会で否定されることなくずっと生きてこれたんだろう。俺はいつも否定されてきたから入学と同時に否定されることを常に念頭に置いていた。でもそうすればするほど、否定(イジメの対象等)にされるのはなんでだろう?そうして更に感情を隠すようになった。頭の中でずっと「しねしねしねしね・・。」と最初の高校入学時は唱えていた時もあった。そうすると案外周りはそれに乗じて恐怖するものみたい。ただそれも年齢を重ねると幼さを体現していたことと分かり、恥ずかしくもあった。

才能が欲しかった。そうすれば、他のことが劣っていても自分を許せる気がした。しかし、自分には何も才能なんて無いし、それどころか何をしても低レベル。どこにも他者を止めうる魅力がない。時と共に自分の好きだったものは遠ざかり、消えていく。今本当に大事なものは何があるんだろう?親はまだ元気だが時間が経てば消えてしまう。大事なもの・・。そういえば、好きなものすら分からない。誰しも持っている「これだ!」というものが何もない。別に無くても困らないものばかり。・・うん、分かる。こんなんだからつまらない人間なんだということも。しかし何事にも価値を見いだせない人間はどうしたら良い?

最近は、ネットを通した他人の思考すら触れたくなくなってきた。ツイッターとか見てると、「人って汚いなー・・。」と、憂鬱になる。自分とは生きた世界が違う人の思考なんだけど、その中で女性のゴミと言われるような何もステータスのない男へ向けられた言葉が自分に向けられている言葉のようで見ててしんどい。何よりそれに反論する位の能力が備わっていない事が自己否定に繋がる。あとは二股、三股当たり前的な、、もう止めてくんねーかな?・・見なけりゃいいんだけどね(笑)

いつから人はそんな下らない観点でしか他人を見れなくなってしまうんだろう?いや、、そういうところが自分のダメさなんだろう。成長とは変化で、ずっと過去のままではいられない。自分の幼さの根底はこの思考にあるのだろう。本来、人は汚い生き物であり綺麗であろうとすること自体が誤り。自分自身対して綺麗でもないだろう。でも俺はただ単純に生きたい。心理戦とかもう馬鹿だから疲れた。その人と話したいから話して、会いたいから会って、それが本当に大事なことだと思うんだけど。でもこれも達観かな。俺は絶対営業職は向いてない。(カーメーカーディーラーの偉いオッサンに猛推薦されたことはあるけど、自分の身の丈は自分がよく知ってるので即断った。)

でも何もせずただ傍観している人間ほどの悪は無いとも思う。何もしないことの罪は大きい。男は度胸である。今まで自分は痛みに弱かった。身体的にも精神的にも。こんなんじゃ誰も救えず、それが何よりの自信の無さを生み出した。今は多少強くなったかな?精神面は弱いけど。。自分を大事にし過ぎた。そして色んなものを失った。

ここ数日ほぼ何も食ってないからメンタルが病んでる。あと仕事終わりに今日はジムに行ってきた。・・だが、全然力が入らない。今までは自分の限界のしきい値を早めに設けてたんだけど、「もうぶっ倒れてもいいや。完全なるバカになろう。」そんな感じの思考で行ってきた。何も考えたくない。「だからもう死ぬために生きる。」これぞロケット花火人生ではないでしょうか?あ、ジムに化け物がおりました!ハルク並みの筋肉。俺なんてヒョロヒョロだなーと思った。あれこそ本当のガチムチですな。体動かしてると何も考えなくて良いからいいよね。

実験的にネットで諸々やってきたわけだけど、この先もこれを続けていくべきか迷う。否定してきたことを享受し、とりあえず経験というスタンスの思考に切り替えてやった。で、この先なわけで、、もう十分の経験を重ねた気がする。というか依存的になった。今離れてみて今のこの状況が本来あるべき姿でない?とも感じたり。しかし、人と交流する場を設ける機会を他で探るというのはとても難しい。ただ、やはり自分は一人でしか生きれないとも感じる。オフ会は個人的にはとても自分の考えをそのままにした感じだったし、貴重な経験だった。時間を割いて参加してくれた人も、とても魅力的に見える人ばかりだった。「色んな人に会ってみたい。」という完全なる利己的な発想で始めたことだけど、それに乗じて参加してくれる人も同じように利己的に何かを得られれば御の字と思っていたりする。・・この先はどうなるか分からないけど(笑)

人にどう見られるか?ということばかり気にしてきた人生。そして、無価値を悟った人生。俺は祖母を見て改めて思うことがあって、やはり「人は人でしか救われない。」と思う。心療内科で薬もらっても何も変われなかった。それの根本的要因は何より孤独感。生活が充実していれば鬱病にはならなかった。想定外への対処。不完全燃焼。消化不良・・、自分が考えられるのはそのあたり。心療内科を否定してるわけでは決してない。(実際、身内を病院に連れてって良くなったし。)

さて、、以前までの自分では考えられない馬鹿みたいな行動しまくったし、色んなもの失いまくってある意味白紙になった気もするわけですが、この次はどうしましょう?(梶井基次郎の『檸檬』ってっこんなことだったのかなー?と少し前に思ったのでありました。)

文章長い・・。どうせ誰も見てないから良いやー\(◎o◎)/