うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

人生考え方次第

人間向いてないな、と最近常々思う。また憂鬱に成った。会社の内部状況も大分見えてきたし、部署内の面倒くささも。本当アホじゃないか?と言う次元の低い考えの人間が多い。でも、キレたらダメだ。我慢我慢。

生きてる意味って何だろ?またその思考に戻った。昨日も書いたけど、好意を寄せていた人から、また連絡が途切れた。うーん、分からない。恐らく、気休め?というか、多分だけど、本命が居てその人と一時的に上手くいかなかった?から連絡してきたのかなーと勝手に想像してみる。そして、またそっちに戻ったのかな?案外そういう勘は昔から当たるから嫌になる。良い方の勘はまるで当たらないのにな。しかし、整理がついたと思ったタイミングで何で連絡してくるかなー!と恨んでみたり。凄い嬉しかった分、反動も大きい。何とか頭で笑い話に脳内変換して「惨めだなー」と、笑ってみる。まぁ、そんな風に疑っている自分自身その人を本当に好きだったのかな?と思う。好きだからそんな風に思うのか?よくわからん。(いいおっさんが何言ってんだろ。。)

今まで短期で仕事を辞めてきた。2社既に辞めて今は3社目。前の2社はどちらも約二年ほどしか働いていない。そして、今更ながら思うことは、自分の心の弱さと適応力の無さ。結局どこに行っても辛い事ばかり。その辛さはマチマチだけど、大抵悩まされるのは人間関係。学生時代からもそうだけど、他人と関わることが出来ない。そしていつも傷つけられ逃げてしまう。今日も業務上クレームに近い対応を本来俺がやることではないのに請け負わされて一時間対応していた。そして、只々周りは見ているだけ。それが何より腹が立った。また孤独感も味わったり。そう、「こんなんだから男として何も魅力がないよな。」とも思った。とても弱い人間。それを認知していたから恋愛は遠ざけてきた。なのに、求めたのが何よりいけなかったのだと、悟ったりもした。

何事も考え方次第。例えば、前職を辞める前は苦痛で仕方なかったけど、今となれば前職の方が良かったと思う。無職の時は、早く仕事がしたいと思うが、仕事をしている今となれば休みたくて仕方ない。厳密に言えば考え方次第とは言わないかも?そうやって苦痛を違う方向に向かわせないといけないのかもしれない。環境を変えても変わることは無かった。寧ろ状況は悪くなる一方。そして、その状況を変えられない自分の無能さを痛感するばかり。1年前の自分の今の自分、スキルアップどころかスキルダウンしてる。それどころか人間としても退化してる。

 努力するのに疲れてた。周囲の一般的な幸せを自分も欲していたけど、根本的に無理な気がした。それは過去からも分かることだし、ここ数年、逃げることを辞め努力し得たものは何もなかった。寧ろ、その努力により大きなものを失った気がする。いや、でも失ったから気づく事も多いのかな?きっと今まで色んなことに直視せず、背いたから同じ出来事を繰り返してしまうのかもしれない。そんな考えがずっとぐるぐる思考を巡ってる。

「やっぱり俺は一人か。」と、独り言を言った後、また殻に閉じこもる自分が見えた。

猜疑心が生まれた人間関係

昔からどちらかに寄ってしまう。「人を心から信用するか。人を誰も信用しないか。」幼い頃は前者だった。ただ、虐めにあってから誰も信用できなくなった。そこから引きこもって、ただ、誰かから連絡を待っていた。それは必要としてくれるという保証がほしかった。自分がアクションを掛けないで相手から来るという事は、必要だと思ってくれているはずだから。・・しかし時間が過ぎれば自分の存在なんてものは皆無になったのだろう。そこからはずっと一人で生きてきた。

大人に成った今でも同じことの繰り返し。自分を本当に必要だと思ってくれている人間なんていないんだと思う。もっと優れた人間なんて一杯いるし、友人関係にしてみても、恋愛にしてもそう。自分が相手に一意と捉えて信じようとするのは、相手に同じように想ってほしいから。ただ、そんな考えはいけないらしいと経験を通して思う。キリストの言葉「自分がしてほしいことを、まず相手にしなさい。」あれは、現実には通用しないんじゃないかな?

ずっと自分に向けられば言葉「優しい」。それがとても自分を縛っているように感じることがある。それ通りの人間を自分自身演じているに過ぎない。本当は自分が無いだけ。そして傷つきたくないからそう繕ってるだけ。褒められたように感じる上記の言葉も、その言葉を発した人はドンドン自分の前から姿を去っていき、優しさとは正反対の人間と一緒に行ってしまう事ばかり。それら全てを踏まえて、誰とも接しないと決めたんだと、改めて思う。少しづつ人と関われるように努力したんだけど、根本的に空っぽだから難しい。それと人の気持が分からなくなってしまった。あの時どう思っていたんだろう?自分がとても惨めで仕方ない。昔から利用されるだけの人間だなー。。

 自分の価値をどこにも見出だせない。今も昔も。

主観的人生の発想

「今後、自分はどうなりたいか?」ずっと前から常に考えて生きてきた。けど、そんな事を考えても何も望むような結果は得られなかった。それに考えてそうなるための努力もしてこなかったのだから、現実に成るわけが無いのだ。

ずっと前、自分はどんな姿を想像していただろう?と思うことがあった。先日、同級生の親がやっているラーメン屋に父親と食べに行ったのがきっかけ。前に行ったのはもう記憶が無いくらい前。それなのに自分の顔を見た瞬間、名前を呼び笑顔で迎えてくれた、同級生の母親。その人は若くに結婚して子供も産んだので、今でも美人で若い感じの人。自分が小学生の頃、恐らく今の自分と同じくらい?いやもっと下だったのかも?そう考えると自分の幼さを痛感したりした。

自分はもっとちゃんとした人間でありたかった。しかし、そう成れないのはだいぶ前から気づいていた事でもあった。それに、過去を考えたらそれなりには頑張ってる方だと思う。でも、世間一般の基準を考えたらとても低いとも感じる。犯罪を犯した訳でも無いのだが、やはり、自分の過去(不登校で引きこもっていた長期空白期間)を塗りつぶす事は出来ない。それにより捨てた人間関係が今となれば何より大事なものであったような気もする。それは、将来を築くための条件として。勿論、成長するための糧としても。

どんどん自分が分からなくなる。どこに自分の目的を?どこに自分の存在価値を?いつもずっと抱いていた思考。ずっと疑問から答えが出る事はなく、ただ時間だけ過ぎていった。ずっと過去に生きていたいのは、きっと今と言う現実を直視したくないから。ただ、周りは一変する出来事を日々経験している。それを見たくないし、それをやり遂げる能力も自分には無かった。生まれ持って人の人生はある程度決まっているな。と最近良く思う。エリートは常にエリートだし、必然得れることも増える。少し前、親会社に行き、とてつもなく恥さらしの内容を発表(上司に流されるまま作った)しに行ってきた時に社長やら役員一同を見て思った。その人達がどんな雰囲気を持った人間が感じただけで有意義ではあったかな?ただ、その人達も、「前の職場で関わっていた権威ある人と比べればランク的には下なんだよなー。。」と脳内変換したら案外緊張せずに済んだ。時折、自社の社長と目が合う機会がしばしば。気を使ってくれていたらしい。この社長自体、親会社からの出向で来ている人。「出来た人なんだろうな。」と思いつつ、また、見た目や立ち居振る舞いで、優れた人間は分かるものなのかもしれない。まぁ、俺は比較にも成らない底辺道まっしぐらですが。。上を見たらキリがないか。こういう思考自体とてもくだらないけど。でも、結局人間もブランドだな、と思う。それを否定すると人生そのものが不必要に思える。人間なんて極論アホな生き物だな、と。

もうどうでも良い。その観点でものを見ろ。そうすれば、きっと大きく動ける。今保有しているものに執着するから動くことを恐れる。そして、何も失っていないつもりでも気づいたときには大きなものを失っている。それに今保有しているものだってとても小さなものでしかない。自分の存在価値なんてほぼ0に等しい。だからもう固定観念に縛られることは無いはずなのに、どうすることもできないのは能力がないからなんだと思う。

ずっと一人で生きてきたので、誰の顔を見たくない波が時折ある。その時は完全に外界をシャットダウンする。それが何より落ち着く行動という矛盾を抱えて。

ブログ更新途絶えてた

久々にブログ更新。以前は頭の整理をするために書きたくて仕方なかった。でも今はそんな気持ちも薄れてきている。更新したい気持ちより、面倒な気持ちのほうが勝っている。それは精神が安定したから?多分そうなんだと思う。

以前にも似たような事を書いたが、以前、俺はSNSという媒体がとても嫌いだった。理由は、現実から逃げている弱者が、なんの責任も伴わない場所では悠々と汚い発言をするから。あとは群集心理的に騒ぎ立てる(炎上?と言うのかな?)もとても嫌いだったから。見ててアホくさいし、時間の無駄だと感じた。全く無意味に等しい。それにかっこ悪くも思えた。現実では誰とも交流できないのに、ネットでは交流しているという矛盾がとても虚しく感じた。それが、もう約3年より前の事?時間がすぎるのは早いもんだな。

3年前の自分は前職に入ったばかり。入った当初とても憂鬱になって、同じような心境の人のブログを読み漁った。そして、エゴイズムなんてもうなんでも良いから、今までの固定観点を壊すため、当初の考えと裏腹ではあったが、自分もその前まで全く無関心だったブログを始めた。内容は主に仕事の事。このブログと同様とても暗い内容。ただ、案外それに救われてた自分もいたりした気がする。そこでコメントもらった人にも一回だけだけど会ったりした。・・あの人、元気かな?

そこからまた憂鬱さが増して、自分がとてつもなく嫌いになった。もう自分を捨てたいと思いなんでもしようと思った。真っ先に出来そうなことは、拒否していたSNSツイッター)で、どうせやるなら普段思っている自分とは真逆の人間を演じようと思った。そこで、謎のキャラを構築したんだけど、数ヶ月で憂鬱な事を呟くように成り当初の考えは破綻した。自分自身への変化を求めていたんだけど、まぁ、そりゃ変わるわけが無い。だって、画面上の中で何をしても得られることは一時の幸福。テレビやゲームと同じ。本当に欲しかったものは違った。結局自分が欲しかったものは、人との関わりだった。それは無機質なもので無く有機質なもの。ただ、対人恐怖な過去を抱えていてコミュ障な自分にはそれがとても恐怖でもあったから中々行動には移せなかったけど。

更に憂鬱さが増して、本気で死のうと思った時期がその後来た。どうせ死ぬなら・・と、全財産捨てるつもりで株にぶっ込んだ。そしてほぼマイナスに成り、財産を失ったけど死ねなかった。首吊ることを本気で考えたりもしてたけど。。今考えると、やはり前職は向いていなかったんだろうなー、と感じる。でも、今また戻りたいと思うのは、心残りがあるから。それと今の職場に居場所がないから。場所的な環境も?かな。全てを得ようとしても無理だけど。時間が過ぎるごとに前の記憶は薄れていくな。当たり前だけど。

そして、「もう恐れることはない。」と思えるようになったのがこの頃。だからネットを通じて色んな人に会ってみようとこの時から思い始めた。これも自分が変わるきっかけが欲しかったため。3年前では考えられないことを今している。ネットから現実で人と会うなんてとても抵抗を感じていた。どんな人なのかも分からないし、コミュ障だから人と会うこと自体怖い。ただ今思うと、ネットから付き合いが芽生えるのと、現実で誰かと知り合うの、何が違うんだろう?最初は誰でも赤の他人なわけで。厳密な違いなんてほぼ無いんじゃないかな?というか、その考え方自体とても規模の小さい事な気がする。と、通日前に赤の他人に声を掛けられ家族写真を撮らされたときに思った。

ここ最近、総じて分かったことは、やはり俺は他人に好かれる人間じゃないな、と。人を楽しませることが出来ないから。それと、とても弱い人間だから。魅力を感じる人に成りたかった。けど、根本的に無理なものは無理だろう。今まで同様、自分が成りたかった姿に他人が変化していくのを傍から見る、若しくは、知ることが俺にはお似合いなんだと理解した。恐らく、学生時代や私生活で暗い人生を歩まなかった人間には理解できない思考だろう。これは皮肉に近いのかもしれない。

ただ、3年前と今、大きく変わった気もする。今また落ち込む事があったけど、昔ほど同様の事で落ち込まないのは何故かな?きっと前なら「もっと自分に能力や才能、容姿があればー・・。」とか思ってたんだろうけど。今はもう大分落ち着いてる。うん、やはり少し前は完全に病んでた!(笑)と、今なら思えるのもまた成長何でしょうか?

今までの経緯と整理。

完璧主義なのかも?

自分が病む時を考えてみる。

想定していたことが崩れる時。が主で、それが少しでもズレてきてしまうと、「もう俺はダメだ。何も出来ないクズだ。」となってしまう。まぁでも負の連鎖が止まらない気もする。そう考えると何もしたくなくなって、やる気も何も無くなる。そこで落ち込むからダメなんだけど。どうとでも成る!と考えを切り替えられないのがいけない。それが強さだと思う。

この前読んだ本では、落ち込んだ感情をそのまま受け入れよう。と書いてあった。確かに自分は今まで、落ち込んだり悲しい出来事があったら、「こんなんだからダメなんだ。。」と自己否定ばかりして感情を否定してきた。何事も直視せず、ただ自分の感情を殺して自己否定する事でその問題にではなく自分に向けてきた。あらゆる事は考え方次第なんだと思う。小さな事を気にすると何故かそれがずっと同じように続いてしまう。物事を大きく捉えればきっと世界は変わるんだろうけど、成功体験も無いし自分の持っているもの全てに自信が無い。誰かに嫌われたり興味を失われるのもそれを治さない事には何も変わらない。人は完璧ではないし、感情がブレても仕方ない。そんな自分を許せるように成らないと。

まだ自分自身に囚われている。どんな人間でも本来良いはずなのに。

向上心は無いし望みもない人生

やっと休日。でも休日が最近怖いと思う。だって時間の流れを嫌でも痛感するから。平日は仕事の苦痛を耐え生きて、休みが来るのを待つ。その繰り返し。学生時代から同じような事を思ってきた(何の為に生きてるのか?)。以前、まだ10代の頃、テレビで中国では貧困で「生きるために生きる。」という何とも単純明快な理由が生きる理由だと言っていた。今はどうかは知らないけど。そんな風に思えないのは豊かな生活をしているからなのかもしれない。

正直このまま生きてても仕方ないと常々思う。人間向いてないんだと思う。口だけで言い訳したくなかったから自暴自棄に成りつつ色んな事を経験してみた。ただ何をやっても満たされないし失敗ばかり。本も出来る限り多く読んだ。そこに書かれている事もなるべく実践した。けど変わらなかった。そこで過去を振り返り、どう考えても普通なら積み上げてきた経験や人間関係などが皆無だから、絶望する。でも過去に逃げてきてしまった自分が全て悪い。そんな過去を持っているから自信なんて皆無で、ずっと引きこもって生きてきたから1人で居るのが落ち着く。というか、真面に話す話題が無い。ははっはー。。笑いながら話せる過去を持ち合わせていたかった。

最近は、嫌な仕事を押し付けられてばかり。親会社に行って部内の取り組みを発表することになった。とても行きたくないし、やりたくない。内容も腑に落ちない内容だから上手く発表する自信も無い(それでも優秀賞)。自社の社長と来週事前発表。部長とか上の人はやる気満々で心の中では(そんなにやりたいんなら、あんたらが発表しろやー!!)と思いつつ、(死ぬわけじゃないし、どうでもいいや。)と高を括っている。それらも踏まえ、昇進するための昇格試験の資料を見せられる。皆、昇進とかしたいもんなのかな?そんなもん見せられても俺は興味ないなー。給与は上がって欲しいけど。つうか、昇進なんか結果を残せば自ずと付いてくる気がする。舵取りが出来るってだけはメリットだけどめんどくさい業務が増えるのは嫌だ。小さい会社だから昇進も早いのかも?考えもクソみたいな凝り固まったものばかりだし。よく何十年も経営が続いたな、と思うと同時に設立年数が長いのに規模が大きくならない理由も分かった気がした。

今の職場より前の職場の方が心身共にとてもしんどかったし、求められる正確性とスピードが高かった。のに、今の人員の3分の1でやってたから凄いもんだよな。それなのに給料が安いという不条理。やりがいはあったけど、、。

何も期待しない生き方が自分には一番だと改めて思い直した。

浮き沈みの多い日々

また憂鬱に成った。俺は「何が欲しかったんだろう?」「何でこんなに何も出来ない人間なんだろう?」と。もう前職辞めて大分時間も経ったのに、まだ「あの時辞めなければ良かったかな?」と後悔している。冷静に考えると、将来経済的に厳しいけど安定はしてたし、職場環境にも慣れていた。しかし、自分が何より憂鬱に成るのは、自分が居なくても全く問題ないという価値の無さ。辞める前はすぐ忘れて欲しいと思っていたのに。結局、都合の良い風に解釈しているに過ぎない。全てネガティブに考えた方が自分の人生は理にかなっている気がする。他に希望を抱いてもそれは叶う事が無いので、それが叶わない事で落ち込む出来事が多い。

どうすれば望む様な人生が手に入ったか?考えてみると、やはり自信の無さ=能力の無さ→努力不足。分かってはいるけど何も出来ない。最近は憂鬱過ぎて家に帰ったら、ご飯も食わず、風呂(朝にシャワー生活)も入らず布団で寝てしまう。今週はジムもまだ行ってない。家事もしないと・・。自分の気力の無さが嫌になる。自分を変えるのであれば、プライベートで少しでも変わる努力をしないといけないのに。普通の生活すら真面に出来ない。こんなだからダメなんだろうな。何事も起こす事が出来ないからこの先も変わらず、ただ、空虚に生きていくしかない。色んな目を伏せたい出来事を目の当たりにしながら。人は忘れていく生き物であるが、そうなりたくない自分が居て、、無意味を繰り返している。

自分は異常者であることを理解した。「死んでも良いや。」と思ってここ数年自暴自棄に生きてみたが、結局何も変わらず死ねもしない。考えは以前と変わらず、一番大事なものは他人からの評価。死にたいと言っているのに、矛盾している気がするが。自己の全てが嫌で仕方ない。性格は勿論。容姿も能力も全て。過去の自分が全てを物語っている存在価値の無さ。座間9人連続殺人事件の被害者女性、ほぼ自分と同じ様な人生を歩んでいるな、と思って感慨深いものがあった。それと同時に被害者なのにこんな過去を根掘り葉掘り・・、この過去があるから前に進めないと苦しんでたのに。メディア何てものは、一過性に辛辣に取り上げるだけでその人に対して敬うなんてことは決してしない。でも極論言えば、それを話題にする行為自体もそのメディアを肯定することに成る気もする。皆が興味が無いことであれば、それ程取り上げないはずなのだから。

人間なんて本当に下らない生き物だな。空虚から逃れたり、他人から評価されたいが為に興に乗じる。結局最後は無に成って死ぬだけなのに。そこに何の価値がある?と今まで思ってきたけど、一過性に生きる事、それを積み上げる事が重要だったんだな。と今更思う。それに気づいたのが遅すぎるし、もう色んなものを得る事は難しい。ここから挽回はとても無理。過去の経験を活かし今に投じる何てことも、抑々過去が無いから難しいし。そう思うと生きる気力なんてまるで無い。最悪、海外に飛んでみても良いかも?中国とか台湾辺りなら現実的だし。そこで人生観を変えるというのも手かな。でもそんな行動するのは自殺を決心する一歩手前だろうな。上手くいかないと嘆いていたが、上手くいかないのが当然であったし上手くいく方法を模索して実行する事も出来ないのが何より無能だと感じている。

生まれたく無かったなー。。両親に申し訳ない。