うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

全てを失って気づくこと

休みに入った。一段落。

今日は仕事上、嫌な事があって、頭痛が酷い中対応してたからきつかった。

でも、もっと理不尽な事を普通の社会人は経験してるに違いない。

そんな小さな事でも気にして傷心してる自分が何時もとても情けなく感じる。

もうね。。いい年齢で、周囲は結婚してて当たり前。子供もいるのが普通なのにな。

そして、貯金は全て失うし、無職に成ろうとしている。ボロボロだなー(笑)

 

今の職場に入って、自分を否定することしか出来なくなった。

謙虚に生きてきた自分が嫌になった。で、自分の持ってる価値観を変える行動をした。

そうやって生きてきたから、ここ2年間は確かに今までの自分では考えられない行動を結構したのだ。

例えば、今の職場に入る前は、ブログしかりツイッターしかり、SNSを自分が使ってる想像が全くつかなかった訳だけど、今ではドップリ浸かってる。

ネット以外にも結構動いてみた気がする。そして振り返ると、同い年の人間は今自分が行っていることをきっと学生時代にしてきたんだな、と感じた。

そう考えると、自分が年相応の人間に成れてないのは至極当然かもしれない。

 

考えてみれば、今までの人生、何に対して自分を縛ってきたのか?よくわからない。

自己否定してばかりいるけど、保守的。プライドと自意識の塊。

でも、人間なんて汚い生き物だし、何時か死ぬ。

だから、本来他人からどう思われようが関係ないはずなのに。

それ言いだしたら元も子もないし、努力を怠る事への言い訳にも思えるけど。

 

人生なんて死ぬまでの暇つぶしみたいなもの。

そう考えれば、どんな素晴らしい事をしても偉業を成しても無価値な気もする。

死んだ後、それ等は何も残らないんだから。

じゃあ、「何もせず生きていくか?」と言われれば、それもまた出来ない。

根底に思っている事と、行動が伴っていないとよく感じる。

だから、感情を表に出すことは殆どない。というか、出せない。

本当に感動すること何て上記の価値観で達観すれば、皆無に近い。

 

ただ、今になって持っていた全てを失って、幼い頃感じていた本質的な感情が蘇ってきた。それに応じて将来への不安も増したけど。。

 この感覚は恐らく一過性のもので、就業中の休暇が齎しているものだろう。

月曜日に成ればまた、この感覚は消え去るに違いない。

良くも悪くも、この感覚は自分の人生そのものである気がする。