うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

親を否定しながら親に甘える事しか出来ない

実家に戻ってから早20日程経ってしまった。

前の職場に入る前、「実家にいたら自分が成長せず年齢だけ重ねてしまう」と感じた。

また、親の影響で自分という人間を否定したくないと思った。

言葉や環境は生物に大きな影響を齎す。

以前読んだ本にこんな事が書かれていた。

「植物に否定的な言葉を投げ続けたら、その植物は枯れてしまう。

逆に肯定的な言葉を投げ続けたら、その植物は綺麗な花を咲かす。」

本当かどうかは分からないけど、、でもどちらが良いかは明白である。

私の父親はあらゆる事を否定する。

如何に体を鍛えても、勉学を頑張って奨学金を貰っても、私という存在で評価するため、貧弱で頭が悪いと言われ続ける。

ただ、兄が同じことはしたらどうか?きっと真逆の評価になるのだ。

でも、俺は実際に結果を出せてない。本来自分の今の年齢を考慮すれば、結婚して子供がいてもおかしくない。

それなのに、俺はどうか?仕事を辞めてしまい、自立も出来ていない。

それどころか、心療内科にもかかる始末である。

何を言われても仕方のない存在ではないのか?

そう思ったから、2年前それを否定するために実家を出て1人暮らしをし、実家から距離をとっていたのではないのか?

実家を出る前に誓った事は、「実家にはもう戻らない。戻る位なら自殺をしよう。」だった。・・じゃあ何で今生きてるの?何で?

この考えを守ることなく、今は実家に戻り、ダラケた生活を送ってしまっている。

 

自分が死にたいと思うのは何故か?

年相応の人間に成れず、甘えてばかり。対外的に見せている自分と違うから。

考えだけは立派。でも実際は努力もせず、結果も出せない。

対外的に自分を見て好意を抱いてもらったところで、本質がおこちゃまだから、距離が近づくことに印象は変わり興味は薄れる。

ずっと以前からその考えは根付いており、それにより近い将来自分が傷つくことを分かっていたから、誰かに好意を抱かれたら距離を置くというスタンスを取ってきた。

それと本質的に対人恐怖症だったからというのもある。

ただ、何も経験せず、頭だけの想像で実証をしないで決めつけるのは如何なものか?・・と思って行動したのがここ一年。しかし、案の定、行動した結果、自分の思っていた通りの結果を齎した。

たぶん「待ってる。」と言ってくれた人も今では熱が冷め、きっと想いは無くなったのだろう。連絡は途切れ、そのまま。

その人に対して何も恨むことは無い。自分の今の現状を鑑みると妥当な判断という以外思いつかない。

年上の男が無職で親に甘える事しか出来ない。その人に合せる顔も無く、ただ時間だけを持て余してしまった事を申し訳なく思っている。

自分がもう少ししっかりした人間だったら。。と思うばかりである。

 

人にはその人に合った生き方というものがある。

才能の無い無能な自分は大きなものを得ようとせず、小さなものを守り、謙虚に生きていくことが、何より合った生き方だったように思う。

自分には何もないと悟り、自殺に追い込むために、色んなものを失ってみたが、結局生きる事を選んでしまう。

「もう少し、、もう少し生きていれば好転するのでは?」そんな事も思っている。

でも時間が過ぎるごとに好転することは無い。悪い方に転がる一方である。

今の自分には向上心というものが無くなってしまった。

「何かを得たい。」とか、「こんな風に成長したい。」とかそんな感情。

生きている意味があるのか?自分でも疑問。

 

他人に時々言われることがある。

「君は純粋だから、普通の会社じゃ勤まらない。」

・・純粋?少し違う。只々心が弱いのだ。

誰かを傷つけることも、誰かに傷つけられることも怖いのだ。

しかし、これは善人か?他者に縋る事しか出来ず、自分では立つことが出来ない。

どんなに汚く要領よく生きても、誰にも頼らず、自分で自立した生き方をしている人間の方が、質的に上ではないのか?

そんな人間を否定しながら、そうなる事も、また自分の考えを行使し自立することも出来ない自分の価値はどこにあるのか?

正しく生きることも、卑しく生きることも出来ない。

 

明日、明後日面接。2日連続面接。どっちかの会社に内定貰って気持ち的に落ち着きたい。。