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鬱死ノ影の無職な日常

影武者によるブログ

無職に成って思う事

無職になって思う事。

・・以下、思考の排泄。

 

何を選択するのも怖くなってしまった。 特に就職先に関して。気分の浮き沈みが激しすぎて、調子良い時は「何処でもやっていける!」と思うのに、調子が悪い時は「何処行ってもダメだ・・。」と思う。 こうして迷ってるうちに欲しているものは誰かに奪われ、また落ち込む。 その繰り返しで何時しか何も望まなくなった。

昔から自信の無さには誰よりも自信があった。 「何もかも望むことはやめれば、落ち込むことは無い。」というのが極論で、それは全ての喜びも捨てると同義。 あまりに早い年齢でこの考えを行動指針に据えてしまった。今では後悔ばかり。 しかし望んで行動したところで、何も掴めなかっただろう。

自分という人間を評価してくれるのは表面的な部分で、深く関われば関わるほど、遠ざかってしまう。だから、自分をひた隠しにし、何事も手を伸ばさない事に従事した。ある種、自己理解に尽きた思考ではあるが、実証を伴わない思考でもあった。では、実証したらどうなるか?=結果はこの通りであった。

「自分は1人が向いている。」と感じる事ばかり。向いている?というより、1人でしか生きていけない気もする。しかし、社会とは人と関わって生きていかなければいけない。そして何より自分自身、他者と関わりたいという願望がある。だから、もがいた訳だが、どうやってもその能力が無いと思い知る。

何事にも興味が無いのは、「人間なんて何時か死ぬ。」という考えが根底にあったからだと思う。ただ、こんな自分が唯一興味があるのは人間そのものなんだけど。

どれが本当の自分か分からない。①何も考えず子供のように振舞うのが自分?②思慮深く何事にも冷静でいるのが自分?③落ち込み何事も手が付かなくなるのが自分?④パニックを起こし頭を抱えるのが自分?⑤やる気に満ち行動に移すのが自分?・・環境や気分で大きく変わってしまい、自分がどれだか分からない。きっと、貴女が望んだのは②なんだろうけど、今はそんな自分は形成出来ない。

全部自分であって、全部自分でない。1=1という仮説の元、名前を与えられた人間はその人間だ。という認識のもと。当たり前なことであるが。ただ、何を持って自分なのか?そして、誰がどう自分をそんな人間だと決定づけるのか。

「単純明快に生きたい。」と望んでも、そうして生きたら利用されてしまう。もしくは、飽きられるか。複雑に生きようとすると、自分が壊れてしまう。結局どちらを選んでも結果は破綻に終わる。

結局のところ私は、自分の事しか考えていない。他人を想っているようで全部自分。他人を気遣うのも自分に有益だから。無益だったら行動出来る?言葉を発することが出来るか?何を持って善意とするのか。それは個人によって違う。ただ、本来善意とは損得勘定抜きのもの。私が思う善意とは、自分が追い詰められた状況で他者に尽くせるか?だ。自分はどうか?=絶対に出来ない。自分を優先する汚い人間。私が欲する人望とは、男らしさとはきっとこういうところに現れるのだろう。見栄やプライド、見てくれ。幼い頃からそればかり気にしてきた。しかし中身が何も伴わない無能な存在だった。それが嫌で嫌で仕方なかった。

本来、今はもう自殺していたはずなのに生きてしまっている。甘え。あとは少し希望が出てしまったから。でも、その希望も恐らくもうすぐ消えるだろう。・・もし消えないのであれば、恐らく私の行動指針は大きく変わる。消えてしまっても0になるだけだからと、比較的冷静でいられるのは今だけか?

時間は待ってくれない。だから、もうそろそろ覚悟を決めないと。