鬱死ノ影の無職な日常

影武者によるブログ

理想と現実

SNSは封印したんだけど、日記の代替として、頭の整理に使用するにはブログが便利。なので、ブログだけ更新したいときに更新するようにしたい。

ツイッターでメッセージ頂いて、お返事返せていませんが一種の誓いとか縛りなので

就職が決まりしだい返しますね。この場を借りてお詫び申し上げます。

 

就職活動は毎日、求人検索や応募、面接等に行っているが、まだ決まらない。気になっている人から連絡が来て、「もう待てない。。」旨のメッセージを頂いた。「そりゃそうだよな・・。」と思いつつ、自分の不甲斐なさと能力の無さ、あとは見栄がとても憎くなった。そして、少しの希を失った自分はいつも通り落ち込んだ。あの時、こうなる事は予想がついていたのだから、連絡先なんて渡さなければ良かったのに。無能な自分は行動で破滅しか生み出さない事を改めて思い知る。ただ、実際問題、他人を支える能力何て私には無かったのだから、大人としてとても惨めな行動をし縛ってしまった貴女に謝りたい。抑々付き合っても無かったし、、阿保だな。

待つ方が辛いのか?走る方が辛いのか?・・走れメロス理論。なるほどな。

 

大人に成ると綺麗な世界では生きれないらしい。最近は強くそう感じる。

精神病の人間を見る機会が増え、やはりそういう人間は優しい人間が多いのだろう。ただそれは逆を言えば、甘さでもある。真っ白な人間でいられる人間なんて存在しない。もし存在するとすれば、それはきっと自立出来ず”成人”とは言えない人間=アダルトチルドレンだろう。そうやって生きれれば一生そう生きて良いのかもしれない。ただ、そんな風に生きられるのはいくつまでだろう?どれくらいなの人間がそう生きられるのだろう?そして、誰かに負担が掛かっているのであれば、やはりそれは甘えなのだ。

少し前の自分の考えはやはり、「正しかった。」と最近感じる。実家に帰ると、どんどんダメになる。精神面、経済的な自立を実質行えていないという意味でもそうだが、私の親は私を信用していないのだと、不出来な子供だと確信している。それを言葉の牛伏に感じる時、親に対する怒り。しかし冷静に考え、それを感じることの無い環境に居続ける事を継続出来なかった自分への怒りが溢れる。

 

私の両親から見たら、姉も私もきっと不出来な存在。唯一、兄だけは出来の良い存在なのだ。言葉や思いを聞く度にそう感じる。しかし、実際、兄は独立していて、何年も同じ職場で働いている。婚約者?に近い人も居て、確かに出来の良い子供なんだと思う。ただ、幼い頃から振り返るとずっと今と同じ評価だった気がする。そういう兄に対する両親の評価を見てきて、今までずっと実質その兄を超えられる結果を求めてきたように思う。偏差値の高い大学とか、有名な会社とか、、。しかし、結局のところ、自分には学力もコミュニケーション能力もメンタルの強さも絶望的で、望みは叶うどころか、それが尾を引き自分の身の丈に合ったベストな選択というものを逃してきてしまった気がする。ただ、最低限、非正規で働くという選択肢は私には無く、それもまた見栄だろう。

 

本の中によく「自分自身を認め、ありのままで生きなさい」旨の内容が記載されているが、自分の本質を認めれば認める程、社会では生きていけない。あまりに弱く、あまりに能力を持たないから。職場での自分が本質だったのか?それとも家にいる時の自堕落な自分が本質なのか?最近では分からなくなってきた。この家に居ればいる程そういう人間を演じさせられている様に感じる。そして根は腐り、それが自分に成ってしまうようなそんな感覚。しかし、前の職場にいた時、あれだけ病んでいたのだから、結局何処に行っても私は環境に順応できず、理想とは程遠い自分を鑑み自分に嫌悪するのだろう。結局、素では弱くていられないし、逆に道化ても無理がたたる。どう生きれば良いのか最近では分からない。

 

ずっと思わない様にしてきたことがある。ただ、ついさっき、心からそう思ってしまった。「なぜ自分はこんな家庭に生まれてきてしまったのだろう・・。」と。

「親に縋っていながら、親を恨んでいる。もし、本気で親に対して憎しみがあるのなら、二度と甘えが出ないよう、家族の縁を切って実家からおさらばするべきだ。それが、出来ないのなら、何も文句は言うべきではない。若しくはさっさと死ね。目障りだから。消えろ。」という理論の元、思わない様にしてきたのだけど、ただ単純にそう思ってしまう。

色んな希望を失っても死ねないのは、痛みへの恐怖。あとは、将来への期待からだろうな。