うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

向上心と虚無感

他人が行っている事を自分も行いたい。その為に努力が必要で、認められたいと思う。同じ様な年齢の人間が得ているものを必然自分も欲し、それを得るために努力する。それらを日常的に努力をして得ていこう。という気持ちがある半面、どうしようもない虚無感に襲われる。それは「本当に自分が得たいか・・?」と思った時、本心ではない様に思うからである。

自分が欲しいものって何だろう?正直物欲はあまり無い。今は情報機器があれば大抵満たされるし。服にもそれ程興味もないし、本だって図書館に行けば幾らだって無料で読めてしまう。車はあるし。あとは家くらいか?でもそれだって今は必要ない。

きっと金銭で買えないもの。それが自分が欲しいもの。=対人関係である。

例えば、友人が欲しいとか、恋人が欲しいとか、誰かに認められたいという感情はあるのだが、それだって、自分の都合の良い相手が欲しいだけだったりする。実際は他人と居ると疲れる。ずっとそうだったから何時も一人だったわけだけど。矛盾した気持ちがずっとある。1人で寂しいという気持ち。集団に溶け込んでいる人間を羨ましいという気持ち。大切な人を身近で感じている人間の幸福感を得たいという気持ち。ただ、それも煩わしくて一人でいる事が一番楽に思えるし楽しい。きっとそれは無理をして演じているから。しかし、演じないと、社会不適合者であることを露呈してしまう。それで良いのかも知れないが、そうするとまた、誰かと関わる事が出来なくなってしまう。どちらを選んでも結果は同じ。最終的に自分という何もない人間を否定し絶望するだけ。

何も無い。と思うのであれば何かを身に付ける努力をしよう。というのが正常な人間の思考回路に他ならないが、自分にはそれがどうやら身に付いていないらしい。幼い頃から甘えて育ってきたから、困難にぶつかると打開策を考えるわけでなく、逃げる理由を考える。「才能が無いから。」「過去にトラウマがあるから。」「病気のせいだ。」・・甘え。(今は良い・・。まだ大丈夫。。)と思い続けて何年、何十年、困難を乗り越えることを先送りしてきたのだろう。そして、そう生きてきたから今があるのだな。何の成長もせず、ただ年齢を重ねてしまっただけの大人に。

数ヶ月前まであんなに働くことに対して前向きであったのに今では「無職で自由な時間をこのままずっと過ごしたい。」という感情がある。苦労し努力し皆が得ているものを自分も得たい。という気持ちより、苦悩がない楽な時間をこのまま過ごしたい。という気持ちの方が勝ってしまっている気がする。この生活に慣れてしまうと兎に角怠い。悪循環この上ない。

もう直ぐ新しい職場。少し前まであんなに前向きに頑張ろう!と思ったのに今では不安しかない。。