うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

社会性を完全に失った

今日は都内へ車で行ってきた。前職の人と一緒に。

しかし、全然会話が続かない。そしてとても疲れてしまう。やっぱり俺は1人が一番良いんだろうなー。と思ってしまう。だから多分一生独身だとも思える。自分が何より優先だし、きっと自分が疲れると感じているのであれば相手はきっとつまらないと感じているに違いない。行く前は他者優先を意識しようと思っても、いざ会うと自己優先。集中力がまるで続かない。他者と関わると委縮してしまう。何でだろう?プライドが高いのが邪魔をして本音を言えないし、嘘もついてしまう。同じような人を批判しているのを聞いて、更に委縮する。

アホくさー。。俺はいつからこんなに他人にどう思われるか?に注力する人間に成ったんだ?それに、何となく同年代の人と同じような人生を歩めると思ってしまっている自分がいた。現実がまるで見えて無かった。

過去を振り返っても仕方ない。しかし、会話の引き出しとして、小中高の話は確実に出てくるし、その間に得るべき対人関係や思い出も引きこもっていたから皆無。そんな人間が今更何を得ようとしている?また、それを偽って得ようとしても結局は離れてしまう。以前の様に。また同じことを繰り返そうとしているなー、とずっと思っていた。

人間のクズ、その言葉が相応しい。努力したい。人とちゃんと接したい。ぶれない心が欲しい。でも、一般的に必要とされる、社交性とか勤勉さとか全てうざったい。前職では道化過ぎて、自らを滅ぼした。しかし、今思うと必要だったからそうした。素の自分はあまりに不真面目で不誠実だから。そうするべきだったと思う。

過去不登校だった人間が年齢を重ねて社会人成ったら、やはり同じ道を辿ってしまうのではないか?だって、学生なんて社会人に比べたら楽だし。それが出来なかったということはきっとそうなる。それでも生きていかないといけない。

いつから死にたいと思うように成ったのか?多分不登校に成った数年後。小学生の時。そう考えると俺はずっと死にたいと思い続けている。生きているのが苦痛。ずっと寝ていたいと思う。でもそれが出来ないから死にたいと思ったりする。死んでしまえば、ずっと寝ているのと同じだと思うから。死んだ後の事を考えると今だって記憶がないだけで死んだ後なのでは?と思ったりする。日付という概念を植え付けられているだけの可能性だって考えられる。

本当に生産性が無い事ばかり考えてるなー。だからポンコツなんだ。ただ、もし肉体的ではなく、人格的に自分を殺す事が出来れば、人生はきっと変わる。人格を殺す方法を模索したい。しかし何を持って自分なんだ?何を持って他人なんだ?頭パッカーンッ!精神極めたい。