うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

人生の目標

前職の一個下の男性社員が結婚するらしい。ここ2,3ヶ月俺が無職の間、他人は転機を迎えていたのだ。そして自分より年下。。何だか自分がとてもちっぽけに思えたし、やはりまだまだ幼いな、と思い知る。(前の職場に居る時は傍から見たらその人より大分年上で落ち着いていると思われていたけど・・。)

必死こいて転職活動はしてたけど、これを知ったら何だかそれもちっぽけな出来事に思える。「俺は何やってんだろう・・。」最近はそればっかり。ただ、自分がどうありたいか。何をどう頑張りたいか。あまり具体的な想像が出来ていない。

いつも社会生活から逃げてばかりだったから、他人と何かを共有するってことが出来ない。それを理解出来る人間というのもほぼいない。大多数がちゃんとしてその人自身の歴史を生きてきた。俺はずっと一人で時間だけを消費することに重きを置いていた。だから年相応の人間に成れていないんだと今更ながら後悔する。

入って数日で辞めてしまった高校の前を今日車で通った。つい数年前に思えるこの出来事も実際は遥か過去。あの時から何か変われたのか?疑問で仕方ない。その高校を辞めた後は通信制に行ったから誰とも関わることなく、高校生活という人生で大きな期間をまた空白で埋めてしまった。

考えてみると、俺の今の年齢って、中学や高校で担任していた人の年齢と大して変わらない、と思ったら恐怖でしかない。寧ろ、そんな年齢にも成ってこんなに何も出来ないのか、という情けない。。他人は他人。それも一理あるが、それを無視しつづけると、時間が経って取り返しのつかないことに成りかねないとも思う。

原点回帰して、俺の人生の目標って何だろう?

漠然と過去学生の時思ってきた、大企業に入社することも出来なかった。公務員に成る事も難しい。結婚して家庭を持つこともこんな自分には無理だと思える。ある程度の人生をやり過ごす事もままならないのだから。じゃあ生きている意味って何?苦痛に耐えて頑張る意味は?人生なんて何してても暇つぶし。そこに有意義を求めているだけに過ぎない。物事の本質は何処にあるか?頭の悪い自分には見つける事ができない。

人が多い場所に行くと、自分の価値を見失う。こんなにも人が多いのなら、自分は無力の存在で大多数に埋もれる。そして代わりが利くから存在意義を感じない。皆そうではあるが、そうではない。数少ない代わりの効かない人間と認めている他人がきっと存在する。だが、自分にはそんな人物はいない。救いを求め、その救いを目標と定義するのが一番容易であり明確でもあると感じる。きっとその救いは他者であると思われる。お金や能力は生きる道具でしかないし最終的に求めるべきところではない。自分が欲しいのは感情が動く出来事、思い出。それも道具が無いと得るのは難しいと思うのだけど。しかし俺はそんな人を求めているが、本当にその人を想えるだろうか?ただ単に自分だけを理解してほしいという気持ちだけに思える。だからきっとそんな人は現れないのだろう。表れても遠くへ行ってしまう。

なんでごく一般的な身体で生まれたのに、ごく一般的な人生を歩んでこれなかったのか。。人とちゃんと関わって生きてきたかった。そうすればきっと、今だって人と向き合えたのにな。バッターボックスに立つことを恐れてきたがバッターボックスに立っても案の定、空振り三振で終わってる感じ。自分の能力の身の丈を思い知る。

こんな自分が嫌になって自殺する前に、やりたいことやろうー。と思った一年半前。死ぬならどうでも良いやー。って思って、貯金も株に全部突っ込んで、その他今まで経験したことの無いことも恐れないでやってみた。全部失ったら死ねるかな?と思ったが、死ねないで今に至るし、何も変われなかった。過去を捨てて新しい自分に生まれ変わりたい。でも、思考転換して過去は過去と切り捨てる事は難しい。どうなったら自殺するか、明確に決めておくのもいいかもしれない。それが人生の指標にもなったりするんじゃないかな?

とりあえず、明日は引っ越しの準備だー!