うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

頭の中の構想

今借りている部屋は結構広くてスペースが空いている。「何に使おう?」と考え、完全なる娯楽室的な空間を作ろうか考え中。しかしそれには勿論お金が掛かるのですがね・・。でも物を揃えるのは当たり前だけど面白い。少しずつ揃えていこう。TV、TV台、PCデスク、チェアー、5.1chスピーカー、PS4、本棚、点々・・。衝動買いするか?いや、、最近の自分はヤバいな。自暴自棄に成って金銭感覚吹っ飛んでるだぞ。。自粛。

 

なんでこんな風に成ったかは、何か先の事を考えない人間の方が良い思いをしていると感じるから。あとは、やはり人生に対して良くも悪くもどうでもいいや、、って感じになってるからかな?倹約だったんだけど、それが良いのか?そんな自分だったから色々経験出来なかった気もするし、まだ守りに入らなくても良い年齢だった。株で大損ぶっこいた事を考えれば・・。阿保だー!(笑)まあいいや。阿保で何が悪いのだ!

 

今、ネットをしていない時間は映画ばかり観てる。TVもゲームも漫画も映画も小説も楽しいと思えなくなった。理由は、創作に価値を見出せなくなったから。それに非現実を観たところで、「とどのつまり、フィクション(嘘)でしょ?」と思ったら感動出来なくなっていた。しかし、人生合理性だけが全てでない事を実感するし、何故こんなに創作が大昔から溢れているのか?を考えたら、それが一つの答えなんだと思う。現実が全てではなく、非現実が現実に華を添える事もあるのだと感じる。

因みに、ここ数日で観た映画・・、

1.害虫

2.フィッシュストーリー

3.キッズリターン

4.菊次郎の夏

どれも邦画だな。今更ながら北野武作品を色々観たいな、と思ったり。今TVが無いのでPCで。もっとちゃんとした設備で観たいな、、と、上記物欲が出てきた訳です。

部屋の設備とか考えてると、これを人生に置き換えれないものか?と思ったりもする。でも、そんな風に考えた方が自分には性に合ってる。漠然とどう生きたら良い?と思考するより、自分の間取りをどの程度か把握してそれに応じて必要なものを揃えていく。という発想の転換は案外理にかなっている。

 

考え方や思考、価値観が少しづつだけど変わってきている様に思う。何故変わったか?一番は抵抗から入らなくなったこと。とりあえずの受託。その後どう感じたか?で判断すれば良いというのが、今の思考。今までは独りよがり過ぎた。大人びたようで実際は幼かった。今日も他人の価値観を聞いて学んだ事がある。(なるほどな・・。)と。自分一人の小さな頭で考える事、また、人生観何てほんとに小さくてちっぽけな事だとこの年齢に成って気づかされる。

そう感じる様になってか、今まで「歴史何て知るか!クソくらえ!」だと思ってきた人間だけど、他人の人生を自分に投射出来るという意味でとても価値ある知識だな、と。また、失踪旅で色んな地域の建造物や歴史館的な場所に訪れて、その時代やその場所に自分が居たことを想像すると、これもまた一つの成長に繋がる気もした。(・・しかし馬鹿なのでまるで頭に入っていない。)

歴史館に訪れた際に、その地域の創作者(小説、絵、脚本家等々)を見ても考える事ばかり。「創作なんて、何故作るのか?」ずっと考えてきた事だったんだけど、その場に居る時に”自己満足”だな。という結論に至った。それで他人が共感したり、共鳴したりしているだけ。恐らく、”売れたい!”とかそういう思考回路ではきっと無いんだと思う。だってそれなら、もっと他に方法があると思うから。人によっては有益が見込めるからなのかもしれないけど。。まあ、それもあるか?「これは売れる!」と思って形にすることもあるか。・・ん?訳が分からなくなってきたので考えるのを止めたΩ\ζ°)チーン

明日で長かった連休も終わり。明後日から仕事は勿論行きたくない!と今日改めて思った。そしてそう思ったと同時に学校に行ってる時はどうだったんだろう?と思ったらやはり同じようにクソ行きたくなかったんだよね。周囲の皆はどうだったんだろう?何を今さらこんな事を思ったんだ?根っから社会生活が嫌いなんだ、とふと思った。こんな事を思えるようになったのも心に余裕が出たからだろうな。

 

思考は少しづつだけど変わってきた。あと自分の心の弱さを変えていかないと。土壇場に成ると余裕が無くなる。みっともないクソ野郎なので、これを日常的に常に今後は考えていきたい。器の小ささ。その器に入れた水が溢れないように常に意識してる感じ。その水を運ぶ方法は幾らでもあるのに、その小さな器に入れて運ばないといけないという固定観念に縛られている。他の方法があると分かれば心の動揺も防げるのに。ただ、不器用で安定志向だからその手法が一番だと、自分の中で決めつける。別の方法は何も試してもいないのにね。

心の動揺した出来事は、大きくは人体。唇を噛んでイボみたいに大きく膨れ上がった。病院に行ったら、中で血液と唾液が溜まっているみたい。その異常加減を見たら気持ち悪くなってしまった。何時も死にたい。と言ってるのに。死を具体的に想像する一つの方法として不健康であること。そしてそれが目に見えるものであること。リストカットとかそんな生半可なものでは無くて、人体に大きく影響を与えるものであること。それを行使すれば、死にたい→生きたいに思考が変化する。人体の安定から自殺願望が生まれる気がしなくもない。カフカの変身って学生時代に読んだんだけど意味不明過ぎた。今日少し意味が分かった気がした。

 

・・文章長い。自分のブログって本当に話の流れとか文書が支離滅裂なんだよね。日記代わりに頭の整理に使ってて別に人気欲しさに書いてる訳じゃないから良いんだけど。

メモ代わりに使ってますのでご了承ください( ゚Д゚)