うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

人生に迷走して瞑想

ネットから離れて完全なる鬱期になった。

しかし、ネットで人と関わるだけでも案外救われてる事がよく分かる。

ただ、時間だけ消費してる気もしなくも無いんだよね。

他人と接するのはやはり、現実の方が得るものは大きい。

 

最近ようやく今の自分の在り方というものが現実味を帯びてきた。

何やってもダメなのはきっと、何も経験してこなかったから。

勿論、根本的な能力の違いもあるんだけど、それ以上に色んな事に恐れて逃げてきたな。

他人が怖い。あと痛みも怖い。つうか、ほぼすべてが怖い。

今日帰宅途中に考え過ぎて満員電車内で動悸がしてしまった。吐きそうになった。

もういい年齢なのに色んな事が怖くて、自分がとても嫌になった。

死ぬ勇気も無く、ただ、毎日傷つくのも恐れ、ひっそり生きている。

何か俺はどうなりたいのか?本当に分からなくなった。

他人と関わるというのは過去とその経緯から言って、傷つく前提。

でも他人を求めるのは、成長したいため?とか、自分の寂しさを埋める為?とか、周囲の評価を気にして?とか、ずっと考えてたわけだけど、何かもう疲れてしまった。

求めても得られないと悟ったし、多分一般的な幸せは自分には得られないとも思った。

そう考えると、この先、生きてる意味ってなんだろうなー・・?と。

結局何も変われないような気がする。

 

骨折して、治ったらその部分は強くなる。と言うが、心も同じなのかもしれない。

弱者はずっと弱者のまま。立ち向かう事もせず、ただ怯えて逃げているだけ。

一生強くなることは無いだろう。本当に心を強くしたいなら、病院で無く劣悪な環境に身を置いてそこでしか生きれない環境にしてしまった方が寧ろ治るのか?

そして、またそれを実行する勇気も無く、ただ時間だけ、年齢だけ重ねてしまうのだろうな。

 

何処に行っても。何をやっても変わらない。というのが転職を二回して分かった事。それと、転職することで失うモノの方が多いという事を理解した。

色んな本を買って読んで、「仕事は辞めたかったらすぐ辞めるべきだ!」とよく書いてある。でも、自分はそうは思わない。

この本を書いている人間は、優秀だからそう思えるし断言できる。自分と同じに考えてはいけないと思う。現実、自分は2度の転職に大分苦悩し苦労した。それは勿論自分が無能だからであるが。。年齢と能力は比例しなければいけない。

転職は慎重に行うべきだと思う。転職活動も勿論だが、新しい環境に慣れるというのはとても辛いものだと感じる。今ぱっと思いついたのが、「別の家庭に入る。」みたいな?それは大げさだけど、感覚的には遠くも無いと思う。

前職でもっとやれたことあったんじゃないか?と思ったりしてしまう。しかし、前職で散々否定されて、嫌な事も連続だったし休みも少なく給料も低かった。それなのに戻りたい。と思ったりするのは、やっぱ人なのかなー。まあ、誰からももう必要とはされてないけど(笑)しかしあれからもう半年かー。。何でこうなったかな?

見通しの甘さ。抑々の考えの甘さ。詰めの甘さ。全部未熟さと甘え。

本当に弱い。あらゆる面で。そんな自分だからこそ、こんな人生を歩んでいるんだな。と再認識した。自分が落ち込む理由はほぼこの弱さから来るものだと過去を鑑みて確信した。痛みに弱いし、自分の体に異物(針)が入るのを考えると気持ち悪い。血にも弱いし。自分が他人と関わらない(関われない)のは惨めな自分を知られなくないというプライドからなのだとも思う。今のこの何も得られない状況はもしかしたら、「死んでもいい。」と感じ、であるならば自分の殻を打破する為のきっかけなのかもしれない。ただ、まだ死ぬことや自分が傷ついたり、痛みを感じる位なら他人を身代わりにしたいというのが根本的にある。(危機的状況に陥ったらきっと自分はそのような行動にでる。)これが弱さだ。その弱さを消すために瞑想の類の事をしたい。強くなるために。

道は複数に分かれている。しかし、どの道も最終的には繋がる。目的地に着くまで最短ルートで行くのが勿論良いのだが、それを出来る人間は一握り。自分はきっとその一握りに憧れ余計に目的地に到着するまで遅れてしまった気がする。