ちょいポエな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

行使できない弱さ

東京は当たり前だけど人が多い。

そして、満員電車に乗って会社に行くという行為がとても嫌だったのと、人混みが嫌いだったので東京には行きたくなかった。でも仕事が無いから仕方なく今は東京で働いてる。

人が多いという事は、それだけ沢山の人を見るということで、只々、眺めているだけでも色んな事を思う。例えば、「これだけ人がいるのだから自分の代わりもいる。そしてその人間はきっと自分よりあらゆる点で優れているのだから、生きてても仕方ない。」と思ったり。逆に考えると、「これだけ人がいるのだから、自分が何をしても特段問題はない。」とも思ったりする。自意識過剰故に出来ない事が今まで多かった。でも、自分の存在なんてほぼ皆無なので何をやっても誰も気にもしないだろう。

 

そんな事を考えると、「人、、というか個人の存在って何なのかな?」と思う。少し関わればそれは”景色”ではなく、”存在”になる。まあ、それも継続出来なければ、消えてしまうのだけど。

俺はずっと不登校で、高校は通信制高校に入学した。たまに行く通学は、結構遠くて電車とバスで1時間位掛かった。そんな年間数日の通学ですら、中学の同級生に気付かれるのが恐くて怯えていた。

いつだったかバスで帰宅途中、後ろの方に座っていたら、一番前に小学生の頃からずっと好きだった同級生の女の子が座っていることに気づく。相変わらず乗り物酔いをするらしく、終始下を向いていた。(声を掛けたい・・。)と思いつつ、不登校通信制の高校に通っていた自分は自信の欠片も無かった。そして何よりコミュ障だったので、何も出来ず気づかないふりをしてバスを出た。運賃を払う際その子は自分を見て、おそらく気づいたわけだけど何も。この女の子とは、私立高校入学試験の時も席が前後ろで(俺はこの高校落ちて、そして試験中は気まずすぎて知らん顔した)偶然会う事が多かったりした。例えば、俺が一般的な同い年が送る生活を送っていたら、きっと行使出来た事なんだろうなーと。それこそ景色を存在に出来たのかなー?と思う事。今だって同じ様に過去によって行使できない事ばかりなんだけど。

今日はなんだか、季節の変わりめを感じて憂鬱じゃない気分だった。昼休憩中に晴れた日の風を久しぶりに感じたら、何となく昔の楽しかった気分が蘇ってきて、少ないながら今まで出会った人は今どうしてるのかな?と考えていたら、上記を思い出した。

昔から待つことしか出来なかった。友人に対しても好意を寄せてる人に対しても。それは圧倒的な劣等感から何だけど。。もし待って何も相手からアクションが無かったらそれはもう自分の存在を忘れたんだと同義として落とし込んだ。考え方が間違えているというのも分かる。相手だって待ってるかも?気を遣って連絡してこないだけかも??そんな考えもあるけど、一般的なルートを通ってこなかった人間だから前には進めないんだよね。前にも書いたけど、草食系ではなくて植物系。これを理解出来る人間というのは極少数だと思う。「男らしく!」自分に掛けられたその言葉は如何にその人が真っ当なルートを進んだかが分かる言葉。他人を大事に想えば想うほど、笑顔に出来る自信が無い。

 

人生はゲームと同じで、意味の無い事を如何に興じ楽しめるか?だと最近思う。

意義を考えてはダメだのだ。