ポエムな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

今改めて思う事

自分の能力、あと経験か。それを把握していながら、ただ、闇雲に気持ちを優先し行動したのがここ数年。勿論、どちらも乏しい自分は先走って起こした行動に対して望むべき結果は得られなかった。今日帰宅途中振り返って考えてみると、当たり前だった。いや、行動を起こしている際にも気づいてはいた。ただ、渦中に入ると、思考は起こった現象や結果に重きがいってしまった。

行動を起こした上で失敗だったことは、ほぼ対人関係。一般的な同世代が得るものを求めた。友人とか恋人とか。でも友人は兎も角、恋人は無理。いや、友人も無理。やはり自分は一人の人生だと悟る。今までそうやって生きてきた。「私の過去は孤独だった。」と言う人間がいるが、多分そんな人間よりも孤独だった。他人に対する話し方と接し方、元々苦手な上に避けてきたから全く身に付かずに今まで生きてきた。だから、無理なんだよね。俺の過去を知っている人間なら納得するだろう。

負の循環というか、行動する→失敗する→落ち込む→行動する・・が永遠続く感じかな。これが恐らく学生時代に交友関係が築けていれば大分違ったと思う。それが出来なかったのは致命的だし、それが出来なかったから今後出来るわけがないとも言える。じゃあ何もせず、ただ時間が経過するのを待つ。というのも違う気がする。そう考えるとやはり、”死なない”といけない。これは肉体的にではなくて、精神的に。自分を殺さないといけない、ということ。自分と他人が思う”自分”に縛られると息苦しくなる。

いつも思うが東京は色んな人がいる。悪い意味でだけど。モラルとか何も無いんだなー、という人ばかり。そうすることでしか生きられないのかも?とも思う。しかし、俺はそんなゴミみたいな人間よりも社会的地位は下だが、人間的なレベルとしては上であると少し自己承認ができるようになった。ただ、他人が評価する部分は確実に前者であり、それも享受することが出来ないという弱さを今まで憎み続けたわけだけど。一番の病む部分というのは、そういう事。考えとは裏腹な能力しかないという事。ここまでの経緯を説明しようやく他人に自分という人間を理解してもらえるまでに至るわけだが、そこまで説明する関係性に至らない。というか、この考えを誰にも言いたくもない。面倒だしこんな話を聞いても、つまらないだけだと思う。ただ単純に明るい人間を演じる事が自分も相手も良質な時間を得られるのかもしれないな。少しづつ考え方は変わってきたみたい。

生きている意味が無いと最近は常々思う。楽しい事が何も無いから。逆転して死ぬまでにしたい事は何だろう?上記の理由で対人関係は諦めた。時間と金銭という制約を踏まえ、自分がしたいこと。。何も無い。対人関係は望めないとしたら、=一人で出来る事。その中でしたい事って空虚な日々しか残ってない。いつか本を書きたい。しかし、本当にしたいかは謎。いや、寧ろしたくない。面倒だし。で、やはり他人に何かしたいな、という結論に至る。一番身近な家族に対して何もしてこなかったな、と。誰がいつ死ぬか分からない。だから、居るうちに何かしたい。そう。多分そういう身近なところに対して大切に出来なかった事が何より問題だった。

時間が経てば経つほど、出来る事ややれる事において、制約が掛かる。それを年齢を重ねてしみじみ思う。焦っても仕方ないが、焦らず先延ばしにしたからの今があるとも言えるのでは?結局迷いは消えない。皆何が楽しいんだろう?

この体は何のためにあるんだろう。