うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

思い描いていた未来と直面した現実

何も変わっていないようで明確に変わったことがある。それは・・、完全に今の状況に慣れてきているという事。

電車通勤も会社も住んでる場所も、あんなに抵抗感があったのに、それが普通に成りつつある。昔から自分が据えていることがあった「人は状況や環境によって変わるもの。故に、第一印象で判断するのは時期尚早である。」を自分自身に投射出来ていなかったと改めて感じた。それを重んじていたら慣れない環境や新しく始める事で気に病むことは無いのだろうとも思ったり。あと、恐らく大抵の人は第一印象でその人を判断する。そして切り捨てる。他にもたくさん人はいるからね。だから、もしその場だけで何か好意を抱かれたいとなった場合はやはり重要なんだろうな。でもやはり自分はそういう場所とかそんな風に他人を判断したりは出来ないかな。そういうところが偽善なんだけど。

しかし、ふと「俺は何でここに居て、何でここで働いてるんだろう?」と思う事は今でもたまにある。何か別の人間の人生を生きてる感じがする。そう考えると環境って凄いもんだな。半年前の無職の時とは全然違う自分が居る様な気もする。3カ月前の入社間もない時とも違う。時間の経過とは恐ろしい。無職になって時間が経って色んな自信を失くした。そんな状況で待たせていた人と会ってしまって、、落ち込んだ。でも今となれば、当然の結果だったようにも思う。それほど時間の使い方は重要だという事だ。ジムに行っても5分走っただけだが、体感時間的には30分位に感じた。と、いうことは苦痛や苦労を伴った人間というのは、精神と時の部屋状態に成っており、同い年でも大分中身は違うのだろう。

考え方も大分。落ち込む事ばかりだったし、過去に囚われてばかりだったけど、今は良くも悪くも自暴自棄になった。東京には色んな人がいて、自分もその中の一人。ただの埋もれる存在だと認知しそれを自分の中で認めてしまえば案外気が楽に成った。どうなろうと良い気もする。他人と違う事がとても嫌だったけど、こんなに人がいるのだから、どうでも良いよね?他者に承認をされる事を望まなければ。

人は失うものが大きければ大きいほど、それを乗り越えた後に成長出来るのかもしれない。「神は乗り越えられる試練しか与えない」そりゃそうだ。だって、乗り越えなければ死ぬなら死んでるじゃん。そしたら、試練という概念が無くなるから理屈が通らない。こんな屁理屈と答えの出ない倫理をごちゃまぜに常に考えているから無意味な時間を過ごしてる。

全て達観してしまうと、あらゆるものが無意味に思える。娯楽全般意味ある?仕事すら生活するためにしているが、最終的に人は死ぬしそれも意味ある?勉強も死んだら無価値だし意味ある?とか延々無意味な事ばかり。だからもう馬鹿なんだから考えないでもうやりたい事すればいいし、欲しいものを望めばいい。手に入るのであればね。その方がずっと楽だ。先の事なんてどうなるか分からないし考えても仕方ないからとりあえず今を生きてみる。という考えに持っていく。

そう、、5年前とか10年前に思い描いてた自分の未来って、確実に今の現状とは違う。結婚もしてたはず。会社にも長く勤めてそこそこ仕事でも活躍してて大企業で働いていたはず。家も持ってた?かは知らないけど。。何かそんな感じに考えてた。まぁでも全然違ったし、自分の能力というものをちゃんと理解していなかったな。自分の無能さを認める事から始めないと成長はしない。しかし、自信が無いといけない。徐々にあの時描いていた自分と現実の帳尻を合わせないと。難しい部分もあるけど。

疲れた。。寝る。