うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

意味のない人生

電車に乗っていて4人グループの中学生に遭遇する。ただ単純に今ある物事を楽しんでおり、それがとても羨ましく思えた。いつから自分はそんな純粋さを無くしてしまったのか?考えてみたりしたんだけど、もう10歳未満で暗かったなー、と憂鬱になる。(将来はホームレスに成ると思っていたので。)

他人から信用を得るにはどうすればいい?と考えていて、実績とか実証の積み重ねだと、それが一番分かりやすく、腑に落ちる答えだった。仕事でもプライベートでも同じことが言えると思う。人は何も無しでその人を信じる事は難しい。そしてそれは先入観にも成って、正しさを曲げる事も出来る。それは自身にも通じるもので、自信がないのはそれがないからだと、しかしどうやっても取り戻せないものなので、また落ち込む。例えば、ゲームで言えば先の見えた能力のないキャラクターを育てているようなもの。ゲームだったら即キャラを抹消して違うキャラでスタートすると思う。

今にしてみれば、あらゆる事を諦めてきたが、それは合理的であったし、当然であったと思う。根本的に人間に必要な能力が欠けている。それはずっと感じてきた事。「何で自分にはあらゆる能力が無いのだろう?」そんな事を思うばかり。そうすると大衆の中に身を投じると全く自分の存在意義が分からなくなる。そして自分の殻に引きこもる。そうなると全てが無駄に思えて、何もしなくなる。努力しても多寡が知れてるし、抑々努力した先に何がある?全くもって人生なんて無意味に感じる。だから元から人と関わる事が困難だったのに更におかしくなった。そして、負の循環により更に暗くなった。

人との関わり方を完全に忘れていたし、周りの人間全てが敵に思えた。だから保守的に不信感を常に抱き生きてきた。「本音を言ったら影で笑い話にされる。」という恐怖から本音を隠し、上っ面。今でも職場では同じだけど。ただ何の喜びも無いんだよね。結局人と何かして初めて楽しめる。トランプや旅行でも何でもそうだけど、1人で心から楽しめる事なんて無いんじゃないかな?それに気づくことが遅かったな。

全てが嫌になって自暴自棄に成ってSNS始めて、、本当はそんな事を一切したくなかった。今思えば、その頃の自分の方が人間的に出来ていた気もするし、出来た人間の定義って何だ?と思えば視野が狭く出来ていなかった気もする。色んなものを失って「死ぬ前に馬鹿に成ろう。」と始めなければ出会えなかった人が居るってのは凄く感慨深い。オフ会とか、自分に実際に会って話をしてくれた人がどう感じたか?楽しかったり、得るものはあった?かは分からないけど、貴重な時間を頂けて私はとても感謝しております。それと、本来持ってた自分の本質的な部分にも気づかせて頂けた。今みたいな感情を抱けていたら少しは色んな出来事が変わっていたのかな?

・・しかし消えたいΩ\ζ°)チーン