うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

現実と向き合いたくない

3連休オワッター。。うくい。。

今日は朝から怠くて起きれなかった。掃除もしていない。毎週祖母の様子を見に実家に帰っているので「これじゃいかん!」って事で起きて、実家に向かった。それに、車を運転すると頭が冴えるし気分転換にも成るから丁度いい。

実家に帰ったら何時も祖母の様子を見に遠方から来てくれている叔母さんが今日も居た。ヘルパーしてるだけあって色々慣れてる。それに、気さくで良い人なんだよね。(因みに、家の家庭とは違って夫も息子もとても優秀で明るい家庭です。)親戚は本当に性格の良い人ばかりだし、ちゃんとしてんだよね。俺だけ完全に幼少期から可笑しな人間だった。親戚が集まっても顔を出さず部屋に籠っていたし、出てきても何も話さなかったから。コミュ障飛び越えてるんですな。そりゃあ、色々普通に熟すのは無理だよ(笑)

祖母と叔母に「良い人はいないのか?」と聞かれ、「居たんだけどフラれたんだわ(笑)」と話したら、「自信が無いとダメだ!男は引っ張って「俺についてこい!」くらい言わないと!」・・いや、重々分かっております。。が、言えないんですわ。過去が過去何で。。引きこもり過ぎて真面に社会生活を送れなかったから、、多分それが出来ていれば、そんな事も言えたんだと思う。そんな事を考えていたら、まぁやっぱり、改めて恋愛というものをしてしまっていたという認識を再確認した。

祖母は大分元気に成っていた。数週間前はご飯も食べれずに声も全然出ていなかったので。今日行ったら声も出てるし、ご飯も食べれていたみたい。「おばあちゃんは150歳まで生きる!」とか言っていたので安心した。ただ、浮き沈みはあるみたいだし、大分やせてしまった。精神的にも身体的にも不安定さは明らかで、「今勤めている場所が遠いからなー。もっと近くに仕事できればなー。」と常々言っていた。・・探したけどクソ田舎には仕事が無いの!!(笑)・・あんなに元気だったのに人は変わるもんだ。俺も大分変ったような気もするし、変わってないような気もする。一つ言える事は、人間関係は確実に変わってしまった。そこが、何より自分を憂鬱にされる。

実家で話したり、周辺を散歩したりしていたら長居をしてしまった。それで帰宅したら一日が終わった。やるべき事何もしてない。。でも、散歩して色々思い出したり、父が植えた植物を見たりしていたらリラックスすることは出来たかな。自分の人生の使い方を最近考える。考えるうえで自分のルーツ的なものを改めて洗い出す必要もあるな、とか思ったりもした。「自分がどう生きるか?」って事を考えてばかりいたんだけど、その思考回路が行動を全て縛っていたように思う。もう異常者なんだからどうでも良くない?と思ったら行動に移す事が出来るようになった。完全なる自暴自棄だし、自分が他人から評価された部分を全て捨てた形になるけど。

「人は何かしら意味があって生まれてくる。」そうなのかな?まぁ、確かに、評価される人間が均一の能力だった場合、それは評価されない人間である。なので、評価されない人間を生み出す事で、評価される人間を顕著にする。という意味では意味があるのかも?ただ、俺は社会的に評価されている人間というのは傲慢な人間が多く、想いやりに欠けていると思うから嫌いなんだよね。繊細で他人の事を考えられる人間程評価されない社会だと感じる。しかし、優しいだけでは生きていけないのも理解できる。学生時代に読んだ漱石の言葉がずっと残ってて、「最終的に人は暴力である。言葉で全て解決できるのであれば、歴史上戦争なんて起きやしない。」という旨が書かれていた。今でも本当にそう思う。理不尽さから身を守る為に必要なものは、”力”であり、それは体力であったりするのだろうと思うが個体で出来る事は限られるし、最終的には人力だと思う。ただ自分にはどちらも得る事は出来ない気もする。また完璧主義を目指して挫折し憂鬱に成るパターン。。

こんな意味の無い大きい事を考えず、ただその場の感情で生きた方が良いと思うのが最近。結果的に自分の存在なんて0に等しいと思い、それが自分を前向きにも後ろ向きにもされる要因に成っていたりする。考える事に疲れたし、あらゆる現実が自己否定に繋がる事ばかり。もういい加減にしろ!と感情の起伏も今までには無かった感じ。

・・いつも思うけど、文章にアウトプットすると謎の思考を常々考えてだな、と。