うく山ヘロの鬱死な日常

線香花火人生よりロケット花火人生

浮き沈みの多い日々

また憂鬱に成った。俺は「何が欲しかったんだろう?」「何でこんなに何も出来ない人間なんだろう?」と。もう前職辞めて大分時間も経ったのに、まだ「あの時辞めなければ良かったかな?」と後悔している。冷静に考えると、将来経済的に厳しいけど安定はしてたし、職場環境にも慣れていた。しかし、自分が何より憂鬱に成るのは、自分が居なくても全く問題ないという価値の無さ。辞める前はすぐ忘れて欲しいと思っていたのに。結局、都合の良い風に解釈しているに過ぎない。全てネガティブに考えた方が自分の人生は理にかなっている気がする。他に希望を抱いてもそれは叶う事が無いので、それが叶わない事で落ち込む出来事が多い。

どうすれば望む様な人生が手に入ったか?考えてみると、やはり自信の無さ=能力の無さ→努力不足。分かってはいるけど何も出来ない。最近は憂鬱過ぎて家に帰ったら、ご飯も食わず、風呂(朝にシャワー生活)も入らず布団で寝てしまう。今週はジムもまだ行ってない。家事もしないと・・。自分の気力の無さが嫌になる。自分を変えるのであれば、プライベートで少しでも変わる努力をしないといけないのに。普通の生活すら真面に出来ない。こんなだからダメなんだろうな。何事も起こす事が出来ないからこの先も変わらず、ただ、空虚に生きていくしかない。色んな目を伏せたい出来事を目の当たりにしながら。人は忘れていく生き物であるが、そうなりたくない自分が居て、、無意味を繰り返している。

自分は異常者であることを理解した。「死んでも良いや。」と思ってここ数年自暴自棄に生きてみたが、結局何も変わらず死ねもしない。考えは以前と変わらず、一番大事なものは他人からの評価。死にたいと言っているのに、矛盾している気がするが。自己の全てが嫌で仕方ない。性格は勿論。容姿も能力も全て。過去の自分が全てを物語っている存在価値の無さ。座間9人連続殺人事件の被害者女性、ほぼ自分と同じ様な人生を歩んでいるな、と思って感慨深いものがあった。それと同時に被害者なのにこんな過去を根掘り葉掘り・・、この過去があるから前に進めないと苦しんでたのに。メディア何てものは、一過性に辛辣に取り上げるだけでその人に対して敬うなんてことは決してしない。でも極論言えば、それを話題にする行為自体もそのメディアを肯定することに成る気もする。皆が興味が無いことであれば、それ程取り上げないはずなのだから。

人間なんて本当に下らない生き物だな。空虚から逃れたり、他人から評価されたいが為に興に乗じる。結局最後は無に成って死ぬだけなのに。そこに何の価値がある?と今まで思ってきたけど、一過性に生きる事、それを積み上げる事が重要だったんだな。と今更思う。それに気づいたのが遅すぎるし、もう色んなものを得る事は難しい。ここから挽回はとても無理。過去の経験を活かし今に投じる何てことも、抑々過去が無いから難しいし。そう思うと生きる気力なんてまるで無い。最悪、海外に飛んでみても良いかも?中国とか台湾辺りなら現実的だし。そこで人生観を変えるというのも手かな。でもそんな行動するのは自殺を決心する一歩手前だろうな。上手くいかないと嘆いていたが、上手くいかないのが当然であったし上手くいく方法を模索して実行する事も出来ないのが何より無能だと感じている。

生まれたく無かったなー。。両親に申し訳ない。