ちょいポエな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

猜疑心が生まれた人間関係

昔からどちらかに寄ってしまう。「人を心から信用するか。人を誰も信用しないか。」幼い頃は前者だった。ただ、虐めにあってから誰も信用できなくなった。そこから引きこもって、ただ、誰かから連絡を待っていた。それは必要としてくれるという保証がほしかった。自分がアクションを掛けないで相手から来るという事は、必要だと思ってくれているはずだから。・・しかし時間が過ぎれば自分の存在なんてものは皆無になったのだろう。そこからはずっと一人で生きてきた。

大人に成った今でも同じことの繰り返し。自分を本当に必要だと思ってくれている人間なんていないんだと思う。もっと優れた人間なんて一杯いるし、友人関係にしてみても、恋愛にしてもそう。自分が相手に一意と捉えて信じようとするのは、相手に同じように想ってほしいから。ただ、そんな考えはいけないらしいと経験を通して思う。キリストの言葉「自分がしてほしいことを、まず相手にしなさい。」あれは、現実には通用しないんじゃないかな?

ずっと自分に向けられば言葉「優しい」。それがとても自分を縛っているように感じることがある。それ通りの人間を自分自身演じているに過ぎない。本当は自分が無いだけ。そして傷つきたくないからそう繕ってるだけ。褒められたように感じる上記の言葉も、その言葉を発した人はドンドン自分の前から姿を去っていき、優しさとは正反対の人間と一緒に行ってしまう事ばかり。それら全てを踏まえて、誰とも接しないと決めたんだと、改めて思う。少しづつ人と関われるように努力したんだけど、根本的に空っぽだから難しい。それと人の気持が分からなくなってしまった。あの時どう思っていたんだろう?自分がとても惨めで仕方ない。昔から利用されるだけの人間だなー。。

 自分の価値をどこにも見出だせない。今も昔も。