ふく山ヘロの福生な日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

写真に写った自分

今日も実家。兄夫婦が今日帰ってきたので、写真の整理。そうすると自分の幼いころの写真が出てきた。この時は純粋に笑えてたし、友人も居て楽しそうだった。自分の容姿に卑下もしなかった。何時から純粋な感情が無くなったのかな?やはり不登校になってから?忘れてしまった。何時からか感情を表に出すことも少なくなったし、誰かと関わる事も、他人を信じることも出来なくなった。それが普通に成ってしまっていて、コミュ障に成るのは当たり前だったな、と感じる。また、周囲と同じ様な学生生活を送れていれば、きっと今のように暗くは成っていなかったんだとも思う。

容姿に自信がある人はやはりあらゆる面で得する気がする。昔は写真に写る事に抵抗が無かったが今ではとても抵抗を感じる。自分の顔が嫌いだからだろうな。昔の顔はまじまじ見れたんが。。自分に自信が持てればなー、外見も中身も。自撮りとか出来る人間はやはり、自分の顔に自信があるんだと思う。それに昔は嫌悪していたが、今は素直に認められる。素晴らしいことだとも思う。

写真に写った昔に戻りたい。でも戻れない、と踏ん切りがつくくらいには成った。同年代の他人なら今どういうことをしているだろう?と常に考えていた。それは、今まで同じ空間で生きてこなかったから、見えないものに恐怖すると同義。中高、もし普通に通学できていれば。。後になって後悔しても遅いということを、認識しながら思考して度々同じことを繰り返してしまう。

今まで生きてきた人生、自分を否定してばかりいた。そして他人を否定してばかりいた。他人を認められるのは自分を認められる人間だとも今なら思える。他人を想っている様で何より自分の事を考えてきたから、去っていったんだと感じる。今の年齢で行う思考の変換作業では無いんだろうけど、まず自分を認められる事に注力したいとここ数日で思った。

プライドだけ高い人間だったし、暗くて、ただ逃げてるだけの人間でもあった。そんな人間に誰が魅力を感じるのか?冷静に成ってみれば容易く分かることでもあった。執着があるから悩む。全て捨てる勇気を持てば悩む根源もなくなる。そして、恐らくその方が、執着していたものにも近づける気がする。人生とはそういうものだとも思う。

今の年齢で自分が出来ることや考え方はとても幼い。これも経験の無さ、あとは逃げの思考の賜物。今は孤独に慣れ、且つ、気持ちを常に落ち着かせる人間に成りたい。