ふく山ヘロの福生な日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

純粋に生きることの難しさ

裏表が無く真摯に真面目に誠実に優しく、、そんな人間が素晴らしいと思って生きてきた。周囲の人間も同じように口にしていたし。でも、実際は違う気がする。社会で求められる強さ=汚さ、だと最近は思える。純粋に綺麗に生きている人程弱いと思われ、虐げられる。世の中は不条理なものだ。でも、自分はそんな人間程、魅力的に見える。

自分の事を別に純粋な人間だと思っていない。ただ、自信の無さから他人を信用できない部分が大きい。常に裏切られた後のことを考えている。それはもう好意ではなく執着以外の何物でもない。ずっと前、一人で生きていこう。と思った。人と話すことも接することも出来なかったし、社会に出てお金を稼ぐ事も出来ないと思っていたから。でも、今となったら、過去の決め事をすっかり忘れて、一人で生きている虚しさだけが残ったりする。しかし、それはもう後の祭りだと常々思う。

誰かを心底信用し生きることの難しさをここ数年味わう。それは自分の性格柄であったり、育った環境もあるのだろう。そして、何より昔から感じてきた、「他人の真意は完全に読むことは出来ない。」事にも通じる。予測で、「この人はこう思っている。」と思っても、それが実際に合っているかなんて、分かるはずがない。(大体悪い方の予測は結果とあっているんだけど)そんな事ばかり気にしているから気疲れするんだろうなーとも思う。こんな思考がグルグル回って、誰も信用できなくなって不登校になった過去があったりもする。もし、幼い頃から周囲に卑下される事なんて一度も無い人生だったらきっと変わっていたんだろうな。

今思えばとても滑稽で、孤独とか孤立を誰よりも恐れていながら、何よりそれが落ち着く自分もいるし、現状そうなってしまった。色んな矛盾な思考を抱えて生きている。大多数の傾向や平均を気にしている自分もいれば、少数派で奇抜でありたい自分もいる。正しさは人それぞれ違うはず。ただ、道徳的観点から考えると大衆に沿った考えが正しいとも思う。しかし、それに沿って器用にずるく生きる人間がとても嫌いであったりもする。そんな人間が社会で評価される。多くの人間に支持される。それはつまり、そんな人間の生き方の方が正しいという事なんだろうとも思う。こんな事をずーと、引きこもって10代から考えて生きてきたんだけど、実りは一つも無かったし、そんな人間には俺は成れないな、と思ったので何時も生きていけない(死にたい)と思ってばかりいた。本来俺は、こんな暗い事を考える人間じゃなかった気がする。過去の写真を見てそう思った。でもどうかな?それこそ数歳の時から大衆にイジメにあっていたので、もしかしたら成るべくして成ったとも言えるか。やはり周りの子供から見ても、どっかおかしな欠陥品だったのだろう。

そんな人生だったので過去、気取って暗い小説(太宰、カフカカミュ等)を読んだりしたが答えなんて見つからず逆に暗さが増し、全く無意味なものだった。アスペルガー症候群なのかな?と思って色々調べたりしたが、何の才能も無いのでただの馬鹿だという結論に至る。(ううん、、ちゃんとした人間になりたかった)誰かと笑って日々を過ごせていれば、病むことも無かったんだろうな、とも友人と笑って写っている写真を見て思ったので、写真って凄いな、と。

結局、このどうしようもない憂鬱さは寝ても治らないし、本を読んでも変わらない。この憂鬱さを払拭するのは、矛盾しているけど悩みの根源である人との関わりとか何だろうな、と。今からそれを形にするのは難しいけど。気づくのが遅すぎた俺はやはり馬鹿だな。