ちょいポエな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

青春時代の過ごし方

今日はずっと引きこもっていた。外に出たのは食料品を買ったのと図書館に行ったくらい。あとは、体が怠くて外に一歩も出たくなかったので部屋は真っ暗でずっと布団か炬燵で考え事。過去不登校の時はずっとそんなことをしていた。なので、この生活は異常なんだけど自分にとっては普通でそれが何より楽しい?というより、落ち着く時間でもある。ただ、そこには空虚しか無くて、ずっとそんな生活をしていたから何も今まで得たものが無かった。正直ずっと仕事もせずそんな毎日を過ごせれば良いのにな、と思った。他人と接することも、自分への評価も怖いから。

人間関係を今までずっと放棄してきた。なので継続している人間関係は皆無。学生時代も社会人に成ってからも。これは上記に通じることでもある。それにそんな生活を続けてしまったから、他人との関わり方も共通の話題も無いため、自分も相手もつまらない時間を過ごすだろうという予測が容易に立つ。そして、それにより傷付き落ち込む。では、何故ここ数年、原点回帰し他者と関わりを持とうと思ったか?それは自分が生きる意味が分からなくなったから。ずっと一人で考え事をし、思考を自分の中で完結する。そこに実感も反応も無い。それは批判も無いことでも有り、賞賛が無いことでもある。そんな人生のどこに意味があるのか分からなくなったから。

行動して改めて実感する。上記、青春時代を空虚な時間に捧げた重さ。正直、行動しなくても分かっていた事ではあった。だから、今まで何も求めて来なかったし、一切他人との関わりを遮った。恋愛においてはそれが顕著だった気もする。ただ、行動しないと何も変わらないし、見えてくるものも違ってくる気がした。今となればそれが良かったかは分からないけど。直近では、こんな人生を送ってきた自分。そして今までまともに社会生活を送れず何の能力も持たない自分に諦めに近い感情を抱いている。

好きな人へは昨日連絡をした。これでちゃんと気持ちの整理がつきそうかな?モヤモヤしていた感情でいるより今のほうが安定してる。返事はまだだけど結果は容易に予想出来る。なので後悔は無い。けど、また時折落ち込むかも知れないな。「もし、自分がちゃんとした人生を送れていたら?」と。そんな事ばっかり考える。でも自分で努力を怠った。苦痛から逃れるために逃げたのだからという、いつまでも消えない自責の念を抱えている。でも今回は人をちゃんと好きに成れ気持ちを伝えられただけでも十分かな。

今は良くも悪くも昔の状態に戻った感じ。何も執着せず一喜一憂しない自分。それは、何も期待しないという事でもあるんだけど。ただ、感情のブレが少ない分、冷静でいられたりもする。ただ、そんな自分にしか成れないことに、嫌気がさしたりもする。でもそれが自分の本来の姿なので仕方ないのかな。そんな自分が他人のために出来ることって何だろう?ずっと暗中模索している。少数ながら自分と同じような人の為になら、気持ちを理解できるし、動けることもあるのかな?

社会経済は利益追求にある。技術の発展は自然の模倣(=人工的に創造すること)が最も安直だが、先進的であると思う。乗り物は動物の模倣。インターネットは土地の模倣。ロボットは人間の模倣。その技術発展に自分が貢献できる力も無い。利益追求をしない社会貢献は、金融、医療・福祉。学術教員、公務員や警察等の公的機関。しかしそこに入ることも今となっては難しい。それに非力な自分ではやっていけないだろうとも思う。これは大分以前から考えていたことであった。だから、一人で仕事が出来る芸術的才能(小説、漫画、絵画、音楽等)が欲しかったが、何一つ自分にはそんな才能も無かった。ここまで考えて結局どこにも自分の価値が無いと最終的に思ってしまう。将来ホームレスに成るという考えはこの極地だった。普通の一般的同年代が行っていることが出来ないのだから他人を幸福に出来るなんてことは一切思えなかった。

何事においても達観していたし、何に対してもそれをやる意義を考えてしまう。しかし、そんな人間はとても”つまらない”のだ。日常のほぼ全てが、無意義なことである。だから意義を見いだせるような目を養わなければいけなかったのだと、今に成って初めて気づく。どんなに下らないと思えることでも感情が動けば、それだけ有意義に変化する。その有意義を他者に与えられる人間ほどきっと素晴らしい人間であるし、自分が求めていた能力であり、成りたかった姿でもあったんだと思う。でも現実はそう成れないから苦悩する。そして、何事も上手く行かない人生に腹が立つ。

また、恐らく本の中に閉じこもる。今はそうした方が良いんだと感じる。