ちょいポエな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

理想と現実のギャップ

今日も引きこもり生活。自分の年齢を振り返り、何してんだろ感が半端ない。ちゃんとした人間に成りたい。

昔から思っていることがある。それは、自分の不出来さ。「自分はこんな人間ではない。」と頭では思っているが、現実は全然ついて行けない。小学生の頃の同級生は皆勉強も出来たし、誰とも仲良く出来た。自分だけ浮いている気がした。実際、学歴の高い高校や大学に進んでいる。

引きこもっていた学生時代とは違い、社会人に成ってから他人と関わる事を余儀なくされたので、同年代の人と自分のギャップを更に痛感することが多かった。自分の先天的不出来さ+積み上げてきたものが何もない隠したい過去。冷静に成ってみると、運だけに頼り、欲するものを得たいという欲求だけが先走っていた。上っ面だけ繕ってると、少し深い関係に成るとそれが顕に成ってしまうので他人と距離を置くというジレンマを常に抱えている。しかし、他人と深く関わりたいという願望も持ち合わせている。これを埋めるには今から向上するしか他ないのだが、何をするにも億劫で仕方ない。こんなダメな人間だからいつも失ってしまうのだと理解し、また、自分の殻にこもる。ただ、もっとダメな人間でも不真面目な人間でもついて行く人もいる。あれは何でだろう?人が分からない。

今まで人間関係を継続的に続けることが出来なかった。それはつまり自分の人としての魅力の無さと他人への気遣いの無さ(自分のことだけしか考えていない現れ)だと思っている。これが上記に通じることなんだと思う。いつも念頭には自分の行動の失態や嫌われることへの恐れ。他人が思い描いた自分のイメージとの相違等を踏まえて接することに成るから、自分も相手も疲れて、ただつまらない時間を過ごすことに成る。それも自己肯定感がない人生を送ってきた自分の末路と言える。

少しづつ、また、過去の思考に戻りつつある。「自分は自分」という生き方に。確かにそう生きると、大分心は楽になる。ただ、それはある意味では逃げの人生だとも思う。過去不登校になったのと同様。辛いけど、同い年と同じレールに乗り歩むことはとても大事な事であった、と今になって思う。その時は現実逃避出来るが、将来、誇れる過去や共有できる思い出がないのはとてもネックに成る。引け目から嘘をついたり誤魔化しても結局腹を割って話せないから関係も深まらない。また、自分の生き方に逃げて、時間だけ過ぎるのが怖い。そしてそれが果たして正しいのか?も分からない。

今から人生を変えるのはとても難しいと、ここ数年色んなことをして思った。机上の空論で出来る・出来ないの判断はしたくなかったから経験してみたけど、やはり自分には難しいと思うことばかり。周囲の人間は容易にできることばかりなんだけど。。自分の同じように出来るはずだ、と鷹をくくってやってみると案の定失敗する。ASDの典型例。事前に何度も調査して頭にインプットしてから動かないといけない。しかしその努力も怠ってばかり。

「自分は何でこんな人間に生まれてきたのだろう?」自分が嫌で仕方ない。(外見・内面)自信の無さから相手を疑ってしまう。改めて相手のことを考えるのであれば、ネガティブな思考は止め、少しでも譲歩できるよう最善を尽くすべきなのだが、いつも裏切られた後の悲観的想像をし、それに対処するためだけの方法を取ろうとしている。・・総悲観してばかりだったけど、今は多少ましにはなった。

幼い自分でいるのは楽だが、捨てる勇気が無いと成長は出来ないと悟る。