ちょいポエな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

自分を見失っていた

相変わらず落ち込みがひどい。生きてるのが辛いという感情しか持てない。失恋が引き金?ただ、それは本質ではない。何より自分を落ち込ませているのは、自分の能力の無さである。他人を楽しませることも出来ず、ずっと距離を置く。昔からの癖と過去のトラウマ。蓄積の無い人との関わりによって何も行使することが出来ない。そして、過去全てから逃げてしまった弱い自分と感情のバランスが取れず、他人の顔色を伺うことしか出来ない。だから感受性は人一倍強いのかも。言葉の裏に隠された本音も案外分かる。今まであらゆる事を諦めてきた理由は他者との違い。

あなた方には分からない。人に肯定され生きた人生なのだから。

あなた方には分からない。人との関わりを不自由無く出来たのだから。

あなた方には分からない。人と人生を共に歩み空白でない人生を歩んできたのだから。

 

以前から書いていたが、ここ一年間は確かに楽だった。酷い肩こりも無くなった。業務上、精神的に追い詰められる事もほぼ無かった。ただ、直近のとてつもない憂鬱が自分のあるべき姿を明確にした。落ち込んでいる間「どうあればよかった?」ってずっと考えてて、自分の望んでいた姿は前職で業務を熟していた頃の自分だった気がする。ただ、それはあくまでペルソナでしか無かったから耐えられなくなってしまった。

ここ数年間は他者に期待をしてしまった。今までは期待なんてしてこなかったのに。ただ、期待をしないと何も進まない気がしたからそうしてしまった。変わりたいという気持ちが強かったんだと思う。しかし、それに合わせて自分の長所というべき冷静さも今では皆無に成った。両極端で、全く自分でも嫌になる。

何事も案の定、上手くいかず、また冷ややかな目で何事も見るようになった。直近は何事も受け入れる事が重要だと思ったんだけど、今はどんなこともくだらないと思える。大衆が笑っている事や感動していること。共感なんて何も出来ず、同じように笑えば良いのでしょうか?泣けば良いのでしょうか?それなら頑張ります。としか思えない。ただ、疲れるのでやはり一人でいるほうが良くなってしまう。人に合わせてもダメだとここ数年間で気づいた。しかし、自我を通してもこんな性格だからダメだということも認識してる。これが何より自分を追い詰める。多分違った人生を形成できていたのなら、こんな捻くれた感情を持たず、ただ楽しいとか、嬉しいという感情を求めて生きていけたのだろうと思う。

こんな性格を理解できる人間なんて居ないというのがずっと思ってきたこと。でもこの年齢に成って自分の大きな過ちに気づいて落胆する。独りよがりにならず、若い時に今みたいな挫折や経験を積むべきだったと。過去に「自分は人と関われないからずっと一人で生きていこう」と誓ったのだけど、いざ年齢を重ねると虚しさしかない。人の重みみたいなものは他者と接してしか培われないのだと感じる。とても薄っぺらい人間でそれを知られるのが怖いから他者と距離を取る。

仕事をしていても憂鬱さが表面上出てしまっていて、職場の人に心配されてしまう。普段から声が小さいのに声が出ない。兎に角怠くて仕方ない。頭も回らない。何で俺はここいるのかも分からなくなり動悸がして食欲も無くなり何も出来ない。。頑張ろう頑張ろう・・と思うほど身体が重くなる。「そうだ、こんなだから誰も寄り付かないんだな」ってずっと思ってた。真逆の存在である明るい人とか面白い人は素晴らしい。だって他者を明るく出来るんだから。そんな人間に成りたかったんだけど、ある程度にすらなれない。自分と居る時は笑顔に出来なかった。俺は他人に幸福感を与える事も出来ないんだと悟った。

深夜、散歩がてらコンビニに歩きでいったらとても清々しくて、道には誰も人が居ないし、車も一台も通っていない。月を見つつ、寒い空気を吸うと楽になる。そんな世界に安堵して何より落ち着いている自分がいる。そんなどうしようもない他者に言えない様な事こそ自分が好きな事。だから会話も弾むわけもない。

履歴書送って1週間経つが未だ連絡が来ない。ほぼ落ちたこと確定だけど。もう何もかもボロボロだ。。俺の生きている価値なんて0に等しい。ずっと前から分かってたんだけど、結局死ねないや。