ちょいポエな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

極論の考え

最近は考え方が変わった。良くも悪くも。以前の思考回路に戻った感じ。他人に期待しない。それは人間不信が根本にあって、大抵の人間は、悪しき人間だと。ただ、自分のそのボーダーというのはとても高い。Twitter界は極端な人間が多いと言っていた人が居るが、俺もそうなんだと思う。ちょっとしたことで人を信じられなくなる。自分の持論とか価値観を他人に直接言うことは無いが、相手にも同じでいて欲しいと思ってしまう。ただ、他人は他人なのだ。それを強要したり、コントロールしようなんて都合が良すぎる。そしてそれは期待するということなのだ。だからそれが叶わないと裏切られた、と思ってしまう。ただ、難しいものでそれを無くしてしまうと馬鹿にされることも多い。

自分は何の取り柄も無いし、これと言って過去に大きな経験もしていない。それどころか、本来するべきだったこともしていない。それにいつも負い目を感じている部分もあったりする。友人が居ないこともその中に含まれる。だからか?いつも都合の良い存在として位置づけられてしまう。それは他者に合わせていたり、優しさではなく甘さが齎している部分だと感じる。そんな事を思うと「この人間関係は不要ではないか?」という思考に切り替わり、縁を切る。その繰り返し。ここで思うのが、一番自分勝手だったのは自分自身だったのか?と。人間関係を構築出来なかったのも自分が悪いからなのか?と。どうすれば良いのか?自分でもよく分からなくなる時がある。こんな事を永遠考えてきた人生だったわけだが、大抵の人間はこんな事何も考えず、自然に人と関わる事がきっと出来るのだろうと、自分とは真逆な人生を送っている他人と関わって思ったことだった。

早いもので、自分ももういい年齢に成った。ここ数年は人間関係に悩みに悩んだし、それにおける自分の人生にも苦悩した。今も、人間関係に関わることで、思考回路がグルグル回り、負の感情に陥ったりする事がある。被害妄想?とは少し違うかな。他人を理解できない?というか、理解してもそれを落とし込めない。それが普通なのだろうけど、何故多くの人はそうなりながら、人と関わることが出来るんだろう?これも多分、普通であれば、何も考えること無く人と関係を築け、こんな事を考えている人間は居ないからだと感じる。

まだ自分は幼い。色んな事に恐怖するし、自分の思い通りに成らないと心が乱れる。小さい事でとても傷つくし、他人を許容出来る範囲も狭い(何処まで許して、何処まで許してはいけないのか?のボーダーを決められない)。でも、それらをまるっと許してしまおうかと。職場も何回か変えて色んな人も見てきた。極論、そんなに素晴らしい人間なんて居ないし、万人に好かれている人間も居なかった。だから、今後は出来るだけ自然体で生きていけるように。無理せず、流されず。自分は自分なので。

今日から新しい人が職場に入ってくるので、楽しみ。