ちょいポエな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

何もない休日に過去を振り返る

ここ1、2年で本来考えるべきことを考えなくなっていた気がする。その考えるべきこととは、年相応の在り方みたいなもの。今まで20代前半の頃は、何年も先の自分を想像して生きようと5年後、つまり30歳であるかのように生きようと思っていた。そうしたら、実際に30歳に成った時困らないであろうと感じたからである。しかし、そんな謙虚な生き方も、落ち込みに落ち込んで、どうでも良くなった。結局その場その場で生きた人間の方が幸せに思えた。将来何も考えていないような人間が楽しそうに生きている中で、なぜ自分は常に将来に不安を抱えて、且つ、このまま何も経験しないで細々生きていかなければいけないのか?と奇行に走った。もうどうでもよくなって、株に全財産を投資してしまった。結果は言わずもがな。あの時は本当に病んでいた。あの時と比べると今の精神面はまだ落ち着いているのかな、と思う。ただ、それとは別に失ったものも大きい。

外に出て、日光に浴びて、少し冷静に自分の人生を振り返ってみた。”こうあらねば成らない”って意識が人一倍強かったように感じる。ただ、それは自分にコンプレックスがあったから。同世代と同じような人生を送れなかった自分はそういう風に思う必要があった。人一倍そう思わなければいけなかった。その根本的な考えを忘れ、「自分も周囲と同じように成りたい。」と思ってしまったのが不幸の始まりだった気もする。自分の身の丈を分かっていなかった。とても反省した。

そもそも、一番病んでしまった時は、前々職に居た時であったけど、あの時が一番人間的にまともだったような気もする(外面だけ)。そんな自分が嫌になったし、辞める時も、「自殺するくらいなら辞めた方が・・。」って気持ちで辞めた。結局無理していたんだと思う。でもあの時もただ逃げただけだったのだろうか。選択する自分が信用できない。

今の職場で、自分の同じ職種の応募を掛けて、いくつか応募があった。その応募者の履歴書と職務経歴書、あと面接中の録音を聞かせて貰った。応募者は40~50歳の未経験者。応募者と比較すると自分はまだいける。ただ、そこに傲りが生まれていた気がする。自分はいつから他人を評価するようになった?いつから卑下できる立場に成った?上を見れば切りがないし、下を見ても切りがない。自分が強く居れるのは周囲が下の立場のときだけ。ただ、自信を持つことが出来るのであれば、そういう環境に身を置くことも一つかもしれない。

あらゆることが堂々巡りしてしまう。過去への後悔。自分の能力の無さと性格の不安定さ。他人と同じような幸せを望んでしまうこと。全部が繋がっている気がする。何処かで折り合いをつけて、自分なりの答えを見つけて落ち着かないと。いつまでも若くないのだから。。

「無理して生きる意味がどこにある?」そんな気もしてしまう。でも怖くて死ねないから生きている。ただそれだけな気もする。強迫観念から読書をしているが、特に大きな変化は無い。人と関わる事が何より大事だと自分では分かっているが、その手立てがない。自分がどうすればこの先の人生を楽しく幸せに生きていけるのか?と考えたとき、やはり、人と接することしか見当たらない。ただ、そのきっかけと成るべき、友人であったり、過去の経験が無いというのがとても自分を落ち込ませる。しかし過去、そうなることを予想して煩わしい人間関係を全て切り、また、苦痛であった学生生活から逃げたのだから自業自得としか言いようがない。そこでまた振り出しに戻る。「無理して生きる意味がどこにある?」

ネットにドップリ浸かる様に成って、何処か実際の生活も軽く考える事が多くなった気がする。ただ、それは良いことでは無い。自分には自分の考えがあってそれを他者の影響で無しにしてしまっている。もう現実に目を向けるべきだろう。そもそもSNSなんてする人間じゃなかったのに。固定観念を捨てると良い事もあれば、悪いこともある。こんなに小難しく考えることでもないのかもしれないけど。好きなように生きれば良いのに。

自分が対人恐怖症だったの忘れて他人と同じような人生を望んでた。あほだ。。