ちょいポエな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

他人への考え方(接し方)が変わった

今日は宿直。職場には居なければいけないが何してても構わないので更新。

時間があって考え事してると、「ここ数ヶ月で大分考え方が変わったなぁ。」と、ふと思った。一番大きく感じるのは他人への関心であったり接し方や考え方。そこで生じる自分の在り方。ずっと思ってきたのは、”こうあらねばならない”という考え。年齢に応じた自分であったり、他人が思う自分。それに合わせられない自分が嫌だった。でも、それに合わせようと思うほど心が付いていかないし、能力や経験がそもそも無いので想像通りに行くことなど無かった。それで落ち込む事ばかり。

自分の家系は比較的、優秀な家系だった気もする。自分の家族はそうでもないが、親戚とかは。だから、ずっと学歴とかが気になったり、幼い頃から不登校で引きこもりだった自分は劣等感しか抱かなかった。それに、場面緘黙症だったので余計そう感じていた。幼い頃からの同級生もとても優秀な人が多くて、ずっと比較していた自分がいた気がする。家庭環境が何かと比較する家庭だったので、それが自分の根底にはずっとある気がする。

今は比較的気持ちが落ち着き、あらゆる物事を冷静に考える事が出来る。良い意味でどうなっても構わないと。・・と、同時に冷静に成って過去を後悔することもしばしば。やはり、前々職は辞めるべきでは無かったという考えがずっとある。でもあの頃は、精神的に限界であったから仕方ないとも思うのだけど。

他人の存在や接し方が分からなくて、ずっと悩んだけど、もう何も考えなくて良いのかな?と最近は思う。幼い頃から親戚とも全く話せなかった自分にしてみたら、今の自分というのはよっぽど成長しているし、自分では気づけない自分の姿というのがあるように思える。それは自分の顔を鏡や写真で見るときと、他人の目から見える自分のように。

赤の他人とも親戚と同じ様な感覚で話せる時がある(時々だけど)。繕わず関わっていくことが何より大事なコミュニケーション何だと今は思う。そんなふうに成れたのは、数年ではあるが、社会生活を送ったから。それも今働いている業界だから、というのが大きい気もする。今後、自分がどのような仕事で生きていくか、の方向性はやっと定まってきた。とても遅いけど。仕方ない。

学生生活を拒否して社会生活から距離を置いたことによる弊害はとても大きい。年齢を重ねるごとに感じる。同い年との能力や考え方、生活の仕方の乖離を顕著に。ただ、それでも社会で働けているし、そんな人生を送り、自分の今までを振り返ると一人で生活出来ている自分を案外褒めても良いのかな?と最近は思える。そんな風に前向きに捉えることが出来なかったのは、精神的に病んでいたからなのか。良い方向に考えられるように成ったのは少なからず薬の影響だと思う。なので、これからも通院は続ける。何時を目処に?かは考えてないけど。

自分は自分でしかない。それは他人も同じ。一人一人かけがえのない存在にも思えるし、代用の効く消耗品にも思える。そんな考えを今まで持ってきた。でも、そんなことを考える必要もなく、”ただ接することの大事さ。”を感じたりする。

なので馬鹿になります。ありがとうございましたΩ\ζ°)チーン