ちょいポエな日常

線香花火人生よりロケット花火人生🚀

異常者の小さな正常思考

 今日は、昼頃に起きて、昨日やろうと思っていた部屋の掃除と図書館で本を借りてきた。有言実行。あとは応募していたところから何件か連絡があり、面接日程の調整。ギリギリまで色んな所を回りたいと思う。明日(今日)は面接が3件。詰め込みすぎたかな?と思うが、休みすぎて死んだ脳みそを動かすにはそれくらいが丁度良い。

 図書館で3冊本を借りてきた。2冊は自己啓発?というか何というか、心の持ちよう的な本。薄い本だったから読了。もう一冊は村上龍の「共生虫」という本を借りる。中身をパラパラ見て、自分の過去に近い印象を受けたので。まだこちらは数ページしか読んでいない。村上龍は、TVで話している姿とか、母親が不登校の頃、買ってくれ読んだ「13歳のハローワーク」から気になっていた人だった。そんな事を考えていたら、ふと、(実際に会ってみたいなぁ。。)と何となしに思ったりした。そして、ごく一般的に芸能人に会いたいとか思う人は、恐らくこういう感覚でライブやサイン会に行ったりするのだろうと合点がいった。

 社会生活をしてこなかった失われた空白期間というものが、やはり自分の中で大きな弊害に成っている気がする。普通とは何か?と問われるかもしれないが、やはり普通の事が普通に出来ない自分がとても憎い。一番大きいところだと人間関係。対人恐怖症だった時を思い出した。というより、今もそれは変わらない。ただ、取り繕っているだけ。だから深い人間関係に及ぶと臆してしまう。とても素で人と向き合うことが怖いのだ。少し前、恋愛がしたいと思い告白はしたものの、結局そこでその人と向き合うことが出来ない。結局フラレて落ち込むという何ともよく分からない行動をしていた。冷静に成った今だから気づく事でもある。「自分は普通ではない。だから何も望まない。」という昔誓った事も、いざ、この年齢で周囲の人間が大きな人生の転機を迎えたりしていると自分も同じ様な生活を送りたいと思ってしまう。しかし、実際は自分の事もまともに出来ておらず、将来に関しても悲観的。交友関係も広げられないという、必然ではあるが何とも哀れな結果である。

 一人で居ることが苦痛だ。これが普通の感覚だと思う。ただ、自分にとっての普通は一人で居ることに成ってしまった。それが何よりの成長を拒み、また、経験という人間の生活に置いて最も重要なものを疎かにさせた。大人に成るとはどういう事か?全ての選択を自分で行うことが出来、また、その行動において責任が取れること。自分を自制できること。本に書いてあった内容であるがその通りだと思う。年齢的には大人に成った。しかし、本質的に自分は大人と呼べるのか?ただ、言えることは一年前よりも、二年前よりも確実に自分の気持をコントロール出来る様になったということである。周囲の同世代とは比較に成らないほど微々たる進歩かもしれないが。もう一つ、大人の定義として、やはり経済力があることだと思う。経済力?というより、自分の能力がお金を稼ぎ生活が出来る能力か。どこでも通用するスキル。また、どんな状況においても稼げる力。もしこれを伴うことができれば、自分の中で合格点が出せる気がする。

 ずっと認めたくなかったが、やはり自分は鬱病なんだと思う。それもずっと前から。それこそ不登校に成った当初辺りから。ただ、それを理由にしていたらいつまでも自立ができないし自分が望むような未来を得られないと思っていたから認めたくなかった。でも、認めて周囲と同じ様なロードマップを描くことを諦めた方が自分の生き方に合っているような気がする。もし、過去、ふとしたきっかけで不登校に成らなくて良かったのならば、きっと同年代と同じ様な生活を得れたのではないか?と落胆することもある。ただ、自分の今が在るのは、過去によるものであり、他の誰でも無い自分なのだ。

 まだ、人生諦めるには早いし色んな道がある。人生には数学の様に確定した正解なんて無いのだ。